旅に思うことの最近のブログ記事

つれづれ。

ロスカボス.JPG冬の日だまりで、ボーっとしているのが大好きだ。常夏の国のプールサイドで、ジントニックかテキーラで、日がな一日、本を読んでいるのが大好きだ。

僕は、根っからのソーラー人間で、お天気が好いと幸せ。雨の日はちょっと切ない。だから惜しみなく日が降り注ぐこんな景色が何より好きだ。

どうせ人生そのものが旅なのだから旅をしよう。どんなに忙しくても、思い立ったら旅に出ようと30歳の時に心に決めて、徹夜してでも仕事をこなして、年に数度は無理矢理に長めの旅に出かける生き方を、自分なりの美学にして何十年か生きてきた。

出かける時は全てを忘れる。遊んでいる時は何も考えずに、ただ空気と光と時間を味わう・・・と言うとちょっとかっこ好過ぎるかも知れないけれど、僕は、けっこう確信犯的に旅には時間もお金も惜しまなかった。

色々な土を踏んだ。色々な空気を吸った。そして色々な人と色々な笑顔に出会った。旅よ万歳だ。・・・でも、つかの間の休暇を終え最後の夜を眠って、目覚めて空港に向かう車の中で、僕はもう、帰ってからの仕事を考えていた。帰途の飛行機の中の時間が嫌いだった。

いい年になって、仕事の心配も何も無く、年中旅をしていられるような晩年が夢だった。

でも・・・・それは違うのかもしれないと、今思っている。 何か、自分を縛るものがあるから、人はそこから開放される束の間の時間を至極の時と感じられるのだ。縛るものが無くなってしまったら、開放感は味わえない。

よろずにするすみなきこそうれしけれ(って、吉田兼好?)・・・誰も、知り合いや縁者が居なかったら、どんなに気楽だろうって言う意味でしょう? ・・・・でも、違うねキット。それではありがたみが分からない。

曇ったり、降ったりする日を知っているから、晴れた日がありがたいんだ。重たい仕事が舞っているから、束の間の開放感を味わえるんだ。人って、基本的にマゾなんだね。・・・・と、思う。

兼好も、それは知っててそう言ったんだよね。

アマゾンの船。

アマゾンの船.JPG
旅のことを少しずつ書こうと思ってカテゴリーまで用意したのに、あまり書いていないのは何故だろう。

僕にとって旅とは、挑戦するものであって思い出すものでは無いのかも知れない。

高校一年のときの古文の授業だったろうか、芭蕉、奥の細道の冒頭「月日は百代の過客にして行きかふ年もまた旅人なり・・・」の一節に電気ショックのように痺れてしまって以来、僕は旅人だ。

学生時代の4年間を東京で過ごして、卒業と同時にしっぽを巻いて札幌へ逃げ帰った。おかしな話だが、東京の寒~い冬が嫌いだったからだ。

32歳で、札幌を食い詰めて東京に逃げ出してきた。以来26年。僕は未だに出稼ぎ気分のままだ。これはきっと死ぬまでそうなのだろうと思う。「日々旅にして旅を住処とす」だ。

一度は行ってみたかった南米アマゾンの地を、初めて踏んだのは2年前の年の瀬だった。案内を頼んでおいたガイドが、日系人で、なんと言ったらいいのかな・・・僕ら日本人よりもはるかに日本人くさい日系ブラジル人で、これにはちょっと面食らった。はるかアマゾンに北と言うよりも、田舎に止まろうノ感覚に近かったからだ。

でも、アマゾンは大きかった。想像の数倍でかかった。

ホテルの窓から船着場を見下ろせた。そこには船が繋がれていた。この川を上り下ること一週間、いや二週間にも及ぶ航路だという。

しかしそれは彼らの生活であって、決して僕の言う旅ではない。僕は、はるか地の果ての日本からここを訪ねて、わずか3日で次の地アルゼンチンに向かった。

この港に一週間、次の町に一ヶ月と言う、本物の旅がしてみたい。でも、何かに追い立てられるような思いでそれは未だかなわない。

本当はできるのだろう。

自分のことを待っている人などは実は居ないのかもしれないのに、待たれているような気がしてしまう。自分を頼っている人などは本当は居ないのに、頼られているように思って人は生きて行く。そして、何もせずに終わる。

モロッコの郷愁(2)

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僕が初めてモロッコの地を踏んだのは20年ほど前のことだった。スペインのコスタデルソール海岸、マラガ、マルベーャの陽光にあこがれて訪ねた時に、それこそお子様的な衝動で、ジブラルタル海峡を越えてアフリカ大陸に踏み込んでみたくてたまらなくなり、スペイン側からタンジェの港にフェリーで渡り、あの(映画の題名で有名な)「カサブランカ」にたどり着いた思い出がある。

渡航に際して乗員名簿と言うのか、入国申請だったのか・・ ・・わからない書類を書かされた。その中に「あなたの父の名」と言う一行があって当時驚いた。死んでいてもいいから、父の名を賭けと言う。当時は父は生きていた。YOSHIYUKI TSUJII という。しがない仕立て職人だ、何が悪い!今書いて、お前らに何がわかる??

今はもう驚かない。

アラブ圏の諸国では、本人を特定するには父親の系譜が重要なのだと知っている。旧約聖書のあの部分につながる。”アブラハムの息子イブラハム?その息子ニホンハム、そのまた息子イトウハムは・・・・”と延々と数十代の記述つが続く。

アダム、エホバのもとを離れいで、エデンの東なるノドの地にて住めり・・・・”こんなロマンチックな一節に惹かれて、ようし!旧約聖書を読んでやろう!と志す異教徒を一発で打ち砕く防波堤(眠たくさせる部分)だ。

あれ?!今夜は何を書こうとしているのか。

そうだ思い出した。先週僕はブログのカテゴリーを再編集した。(ヶッコー大変だった)何故やったかと言うと、このあと「旅行の思い出」を少しずつアップして行きたいと思ったからだ。

この25年ほど、僕は結構気ままにいろいろと旅を重ねさせてもらった。写真はあまりないが、それでも少しはある。思い出と気づきは山ほどある。

これからは時々旅の話を書かせてもらおうと思う。

さてモロッコだが、ここはすごい。僕は本当に大好きだ。サハラの砂漠には商人たちの思いの痕が染み込んでいる。

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ベルベル人のこの青年には5000年の歴史が受け継がれている。(彼は超優秀なガイド兼商人で、バカな日本人旅行客TUJII何某の心と財布をつかみ、結構いい商売をした。でも恨んでなどはいない)

 この国の右側(東側)を臨めば、エジプトの沃地につながり、クレオパトラとカエサル、アントニオとの世紀の恋の物語につながる。この国の上側(北側)は、地中海を挟んでヨーロッパにつながる。カルタゴとローマの宿年の争いの構図が浮かび上がる。

サハラとモロッコは、ローマに始まるヨーロッパの歴史の裏舞台だ。ヨーロッパ側の人々から言わせれば「ピレネーを越えればそこはもうアフリカだ」と言う名台詞がある。要するに今のスペイン領はアフリカ側の文化との関連なく語れない地のだ。

アフリカ側から言わせれば、スペイン領はアフリカと地続きに近い感覚だろう。カルタゴの勇士ハンニバルの行動に限らず、アフリカの側から見たヨーロッパはそういう位置にある。

実際にジブラルタル海峡をドライブした人にはわかるだろう。ヨーロッパ側から見えるアフリカ(モロッコ)は、広島や尾道から見る四国よりもずっと近い。まさに一跨ぎの目と鼻の先にある。

世界地図は、実際にその場に行ってみると、それまでとはまた全く別な見え方をするのが面白い。旅はうわべの知識を自分の認識に変えてくれる。

だから好きだ。

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 このカスバはアトラス山脈の南側、サハラ砂漠の入り口の町ワルザザードの街外れにある。今も普通の人が普通に暮らしている普通の住処だ。・・・・それが凄い。世界は広い。

 

 

モロッコの郷愁。

カスバ2.jpg
昨夜はワールドカップ最終予選のバーレーン戦に熱くなった。正直、最後の5分は身を乗り出してしまった。

さてどうしてこいつら(失礼!)ここの所こんなに強くなってきてるの?と思ったら、アフリカ方面の国々からの帰化選手だらけで納得。その中には、モロッコ出身の選手もいた・・・と言う、支離滅裂な文脈で、僕はもう数年も前のモロッコ訪問を思い出した。

モロッコは・・・深みのある国だ。人によってまるで印象が違うのも面白い。

すっごくいい人たちで楽しかった。と言う人と、全体に信用ならない感じで怖かったと言う人。文化の深さに何かを感じたと言う人と、薄汚れていて気持ちが悪かったと言う人。

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明けても暮れても食事はタジンとクスクス&モロカンサラダ。その上、ホテル以外ではお酒が飲めないのも困る。

でもそのタジンも、土地によって、店によって少しづつ違うことに気が付くと次が楽しくなる。

一昔前のインドもそうだったが、旅をして同じところを巡っても、人の印象はまるで違う。

 
夕日らくだ.jpg

僕は、モロッコは大好きな大好きな国の一つに入る。あの、サハラに沈む夕日を背に駱駝が悠々と歩いてくる景色をもう一度みたい。

スークに集う人々の活気と喧騒に浸りたい。

サハラの砂漠は、ナミブの砂漠とは違う。人類の数戦ノンの歴史を刻んだ砂漠だ。隊商が渡っていった砂漠だ。

そこには歴史があり、物語がある。

冒頭の写真は世界遺産、アイット・ベン・ハドゥのカスバだ。

 

新疆ウイグル地区のテロ報道に接して。

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何気なく開いた日経ネットで、いきなり中国・新疆ウイグル地区、カシュガルでの爆破事件の報道に接した。

国境地帯というだけで、パキスタン国境なのか、キルギスタンなのか、どの国との国境なのかすらもまだ書かれていない。

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ここは、この5月に10年ぶりに行って来たばかりのところだ。僕の頭の中では、ロマンチックなシルクロードの印象しかなかった。

初めてここを訪れた人は異口同音に言う「ここが中国?」と。

その通り、ここは、文化の上では純然とした中央アジアのイスラム文化圏であって、決していわゆる”中国”ではない。

素朴でのどかなイスラムの片田舎だ。そこに石油が出て、今は開発の嵐の中で、中心地にはホテルが出来、漢人のビジネスマン達が忙しく、喧しく走りまわり始めているのだが・・・それでも街には羊が同居し、田舎道ではロバ車が行き交うのどかな風情の感じられるところだ。

しかしそののどかさの奥に、強者による搾取とそれに反発する独立の気運がぶつかり合っている。

やはり、爆弾を抱え込んだ地域であることは隠せない。

それが、今・・・・・・か。

あの景色と空気を思い出すにつけ心痛む。

資本主義の世界は・・・何処へ向かおうとしているのか。

6ポケット。

中国が一人っ子政策を始めたのは1979年だから、じき30年になる。

ひとりっ子として生まれた男女が結婚し、ひとりっ子を産むとどうなるか・・・・と言うと、一人の子どもに6っつのお財布と言うことになる。

子ども一人に親二人。その二人の親に二人づつの親、計6人が、たった一人の子ども(孫)に愛情を注ぎ込むわけだ。

この逆ピラミッドは、冷静に考えるとかなりかなりな事だと思う。

中国の「小皇帝」と呼ばれる世代のこれからが空恐ろしく感じる。事実、先般の旅行で、親や祖父母を翻弄する小皇帝の威力をこの眼でまじまじと見た。

そこまでは行かないまでも、今日の日本の少子化はこれに通じるものがある。

転じて印象的なのが東ティモールだった。この国はつい数年前人口は3~40万人だった。昨年の統計で100万人を超えた。今はおそらく110万人を超えているだろう。

この国では今、一人の女性が平均7~8人の子どもを産んでいる。

国民の50%以上が18歳未満の若者だと言う。もう数年でその数値はもっと上がるだろうと感じた。

子どもに注がれる親の”愛”は、割り算で算出できるものではないだろうが・・・算出できる部分もあるに違いない。

どちらが良いのかを論じるのは今度にしよう。

ちなみに、明治の始めの日本の人口は、江戸時代を通じてずうと3~4000万人だったようだ。今は?1億?千万人?思いきって、いっそもっと小さくまとまってみるのも、悪くないのかも知れない。

イヤやはり、次代をになう子ども達は多い方がいいのかも知れない。

分からない。

成熟志向か、拡大志向かの判断の分岐点だろう。

10年ひと昔@ウルムチ。

10年ほど前、シルクロードの旅情に駆られて西安経由、敦煌、トルファン、ウルムチからカシュガルを訪ねて、風土の素朴さに心打たれた。

その折の旅の宿はいずれも最低限の施設だった。特にウルムチは味もそっけもない収容施設のようなホテルだったように記憶している。

今回は酔狂がこうじて、連休の後半に勝手にオマケを加えキルギスタン、カザフスタンまで覗いて見ようと、拠点の都市ウルムチを再訪して驚いた。昨秋オープンのシェラトン・ウルムチは、どこぞのパークハイアットかと見まがうばかりの絢爛豪華な構えだ。(サービスのレベルは、さすが俄かごしらえの中国なのだけれど・・・)。

この連休は、中国も休みが重なって国内旅行のピークとなったらしい。家族連れパックツアー客を詰め込んだ観光バスがものすごい。そこから吐き出されてくる中国人観光客の団体がすごい。ガイドの声の大きさがすごい。

そして、何よりすごいのはおじいちゃんおばあちゃんとパパママを従えた”小皇帝”と呼ばれる一人っ子さまだ。父母祖父母、下手すると祖父母は二組(6ポケットと言うのだそうだが)を振り回す”小皇帝様”は、周りを全く見ずに走り回る、所構わず大声を出す、笑う、泣く、すねる、ごねる。その皇帝に仕える親たちの振る舞いが、またまったく周りを顧みない”中国流”だから、これは本当に凄いことになっている。

一人っ子政策が2ジェネレーション目に入って来た中国の、これは重要な”現象”の一つだと、僕には感じられた。

 

急にうどんが食べたくなって。

急に讃岐うどんの味を思い出して、岡山での用事のついでに高松に足を延ばした。

目指すは池上製麺所。あの”るみ婆さん”の店だ。聞けばつい最近、空港近くに店を移したという。以前に食べたのはもう数年前。本当に汚い製麺所の傍らで、ご近所の人におすそ分け?のような感じで食べさせていたのが、評判で評判で大行列のお店になった。

今回は、引っ越して新装開店というからちょっと不安があったのだが、るみ婆さんスピリットは健在だった。雨の中並ぶこと30分。釜上げ一玉玉子のせは金150円なり。3分で食べる。感激の味だった。

旅好きの僕は、日本国内も結構まめに回っているつもりだ。旅の楽しみは人と食に尽きる。世界を回っても言えることだが、やはり味の深さはは土地の文化の熟成度に比例する。四国高松、金刀比羅詣でも盛んだったこの土地は、瀬戸内航路の中心地、歌舞伎も盛んなところを見れば、やはり交易の財力を背景に庶民の文化も舌も肥えたのだろう。開拓使の歴史しか持たないほきゃーどー出身の僕にはうらやましく思えることの一つだ。

もちろん今はネットでも買えるが、150円のうどんは並んで食べるに値する味だった。ごちそうさまでした。

世界経済からは置いてけぼり、政治の不毛で日経平均どん底の日本には、それでもこんなに豊かな文化があるぞ!!と、ちょっといい気分の讃岐うどんだった。

旅行は100年前がよかった。

ちょっと早めに休みをいただいて、インド経由でスリランカに来て見た。

僕の初めてのインドはもう二十余年前。以来インドは大好きで何回も来ていたが今回は8年ぶりほどになる。つまり、インドの経済振興が本格化してからは初めてという計算だ。それにしても、ものすごい変わりようだ。あの名車?アンバサダーをもう見かけもしない。サリー姿の女性もめっきり減った。

デリーにはマクドナルドができたと何かで読んで知っていたが本当にある(もっとも、チキンとフィッシュとベジタブルのバーガーだけでビーフはないそうだが・・・)。デリー周辺には、あんなにあったスラムもすっかり少なくなった。跡地には大規模ショッピングセンターが建設中だ。空港も増設中、高速道路もずいぶん整った。相変わらず、ラクダ車が走っていたり突然牛が出てきたりはするが。前回と比べてもこの変貌ぶりは想像以上だ。

だから、世界旅行は、行くなら急いだ方がいい。

さもないと世界中のどこへいってもマクドナルドと大ショッピングセンターだらけになってしまう。

プロフィール

VM Lab 辻井 良一

1983年セールスプロモーションの企画制作会社「株式会社アイベックス」を設立。プロモーション・プランナーとして、「売れる仕組みづくり」をキーワードに、さ まざまな企業の販促キャンペーン、市場導入プラン等に携わる。日本初のネットキャンペーン、キリンビバレッジ社「ネットでFIREキャンペーン」などを手がける。
このブログについて

VMLabについて

25年間プロモーションの最前線で、「売れる仕組みづくり」に携ってきた私、辻井良一(DG&Ibex創業者)が主宰する、「これからのマーケティング」を考えるラボです。
www.vmlab.jp

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