無益な話題: 2009年4月アーカイブ

ユニクロのエネルギー。

GW前半の休日に原宿・渋谷と銀座の歩行者天国をぶらついてみた。

原宿、明治通り沿いの旧ユニクロが、UTというTシャツ系の専門店に衣替えしたのは知っていたけれど、足を踏み入れたのは初めてだったのだが、先ずここで、”何か”を感じた。

何を感じたのかは一言で言えないままに、さらに足を伸ばして裏通りから渋谷方面へ、パタゴニアの周辺、いわゆる”裏原”のファッションが”シブヤ”に繋がって行く一帯・・・。そこにはまた一つのカルチャーがあった。

その日は、明治通り沿いのH&Mの並びにFOREVER21がオープンした日で、そこには長蛇の列だった。

一転、銀座へ。歩行者天国の中央通、松坂屋の向かい側のユニクロへ。

人人人人人・・・・まさに老若男女が押すな押すなの大賑わいだ。レジ前には、カゴ一杯に収穫物を詰め込んだ人の列だ。目的来店、目的消費。まさにコンビニやスーパーで、今必要なものを買う消費行動と全く同じリズムで、ファッション(と言うべきか、衣料品と言うべきか・・・)の消費がなされている。

Men’sのワイシャツが990円~3000円。ジャケットでも3000円台からだ。僕がまだ若いサラリーマンで、当時の月給が10万円だった頃でも、ワイシャツは5000円近かったし、ジャケットやスーツは当然ながら何万円もした。

これは、中内さんがやった価格破壊ではない。むしろ新しい消費文化の創造といえる快挙だ。

ユニクロはもはや、日本人の日々の生活に完全に取り込まれている。スーパーやコンビニや100均と全く同じに。或いはそれ以上に。

柳井さんの鼻息荒い会見、ユニクロのステートメント発言と上方修正の発表を思い出した。そして上海のH&Mとユニクロの店舗を思い出した。

ものすごいエネルギーの充満するユニクロの店を出て、よく晴れた中央通りで深呼吸。

見渡せば、歩行者天国を行き来する人々の何人かに何人かが、三越や松屋の袋ではなく、ユニクロとH&MとZARAの袋を持って、楽しげに歩いていた。

もちろん、カルティエやヴィトンの袋も多いのだけれど・・・・ユニクロとH&M.千円台のファッションは日本人の暮らしを変えつつある・・・と、実感した。

 

ちょびエコ・・・はじめに言葉ありき。

昨年の秋から取り組んできた”ちょびエコ”のプロジェクトが、もう一息でローンチになる。(先日も、ちょびっと書いた)

はじめに言葉ありき。 で、このコピーの生みの親は、D社の良心?のような、コピーライター並河氏。会心の作だと確信している。

氏がこのコピーを思いつくもととなるコンセプトの部分を、ぐちゃぐちゃのメモとダラダラの話で説明したのは僕だから、僕も多少は貢献した?と、自負している(エッヘン!)のだが・・・???

さてこの、ちょびエコの”ちょび”は・・・そのまんま・・・ちょびひげとか、ちょびっととかの”ちょび”だ。背伸びしない自然さと、何よりもカワイイと感じ取れる語感から、スタッフ全員一致で支持された。

では、ちょびエコの”エコ”は何?

と言うと・・・まあ、正しくは”エコロジー”なのだけれど・・・僕としては、これはもう、Ecologyと言う語源を卒業して、日本語として根付いた”エコ”と言う、二文字のカタカナだと思っている。

では、エコロジー:Ecologyとは?と改めて聞くと、意外と正確な答えを知っている人は少ない。正解は「生態学」なのだが・・・ もっとも、19世紀くらいに、ドイツの科学者によって造語された言葉だそうなので、そんなに深くは無いようだ。→Yahoo百科事典(あまり上手な説明ではないようにも感じるけれど・・・)。

実は、プロジェクトの過程で、このエコ(≒Eco≒Ecology)という、ネーミングが妥当か?と言う部分での検討があった。

プロジェクト自体が、正面切ってEcologyを論じる姿勢とは一線を画したかったからだ。

僕は、このカタカナの”エコ”は、現在を生きる日本人の感覚の中にある”エコ”であって、いまや既に語源であるEcologyとは袂を分かって、新しい(固有の)世界を持っていると考えて、この案に傾倒した。

下町の奥さんが「あなたちょびエコよ~!」と言い、渋谷のギャルやヤンママ辺りが「それってちょびエコじゃん?」と語り、レゲエのお兄さんが「オレちょびエコっす」・・・とかとか、言ってくれる感じが夢だ。

言葉は生きている。 いや、言葉が先にあって、それが人を動かし、意識を創り、命(エネルギーや胎動?)を生み出すと言うほうが正しいかも知れないと、僕は考えている。・・・はじめに言葉ありき。は、無宗教だけれど無神論者では無いかもしれない僕が、聖書の中で一番好きな言葉だ。

ロハスは主義でありスタイルだ。 エコファーストは心得であり方向だ。 CSRは使命や務め? エシカルは思想や姿勢かな?

ちょびエコは・・・もともっともっと、自然なくらしの意識に根付きたい。

マーケティングとは・・・「新たな価値の創造」だ。 だとすれば、言葉のチカラで、新しい価値観の領域を創出(=意識化)して行くことは、マーケティングの仕事の中でも、最も創造性に富んだ領域だ。

全くの蛇足だけれど・・・PCで「マーケティング」と入力し損なうと、時々、「マーケ天狗」と出てしまう時がありませんか?!おっちょこちょいの僕はそれがしばしばで・・・そのたびに独り赤面、失笑して、慌てて入力しなおしています。今度は一度、このネタで書いてみようかな?(笑)。

上海モーターショーの加熱度。

本拠地のアメリカでも、日本でも、凋落著しいモーターショーだが上海だけは違うようだ。

税制優遇処置も手伝って、販売台数でついにアメリカを抜いて、まさに世界一の自動車市場になった中国。月間110万台の巨大市場はやはり魅力的なのだろう。

北京オリンピック後の農民工の一斉帰省報道、チャイナバブルのあっけない崩壊は・・・またまたマスコミの悪はしゃぎ?それらは単に一時の調整で、21世紀はやはり中国の世紀になるのか?

上海株は今年に入って30%の上昇。2010年の上海万博を控えて不動産市場も活況。今後の内需拡大策にも、世界の期待が寄せられる・・・・と、今日のTVはもう、中国の勢いに世界がひれ伏していると言わんばかりだ。

全国平均でも10%近く。上海のみで言えば十数%になると言う、この巨大市場の膨張はやはりすごい。

すごいのだがこの市場(僕も、仕事がらみでちょびっと生噛りしたのだけれど・・・)で、勝つのは実に難しい。その訳は簡単。成長率10%の市場に、参入してくる新プレーヤーがそれを遥かに上回るので、競争の熾烈さは凄まじいからだ。

どこが勝ち抜くのか、どこが負けるのか・・・・おや? ほら、また、この理論に立ち返ってしまいそうになる。

そうじゃいけないんだ、志のある事業とは、シェア競争の戦争ではないのだと、我々は痛みとともに思い知ったのではなかったろうか?

ふと、先日読んだTATA自動車の2000$カーの話を思い出した。TATAは、それこそ日の出の勢いでジャガーまで買収した新興勢力・・・・だった。だったのだが・・・ご多分にもれず今回の世界恐慌の中で、今は一転赤字にあえいでいる。

そのあえぎの中で、ギリギリの体力を振り絞って、今のインドに必要な2000$のクルマ(と言う、新しい価値)を生み出そうと前人未到の挑戦に踏み出した。

この4月からの予約受注好調の報道の反面、経済ウォッチャーの多くは、この事業の成功に懐疑的だとも報道されている。常識を破った低価格実現の為の、薄利体制が経営に与える付加は、相当に大きいだろうとの観測からだ。

インドに行ったことのある人は目にしたことがあるだろう。一台のオートバイに、家族4人紀5人乗りの光景を。TATAの会長は、バイクの値段で買える国民の乗用車を思いついて実現に挑んだ。

・・・・・TATAにこそ頑張って欲しい。 志のある事業のサスティナビリティーを実証して欲しい。 傲慢から一転改心して、今度は中国市場で、エコカーで頑張る!と言うGMなどよりも・・・インドのTATAに。

http://indonews.jp/2009/04/49-10.html

カッパがいるか?みそ汁がつかないか?

沼と池の違いは・・・・カッパがいるかいないかだ、と教えてくれたのはDocomo。

ううう~~む、なぜか妙に納得が行く説明だった。

実際このCMの世界感には共感もしていた・・・のは僕だけか?・・・もっとも、それが何故Docomoの家族割り?の宣伝なのかを、論理的に理解するのはソートーに難しいのだけれど、言って見れば、まあそこが(共感と話題性という)CMの世界の不思議なところか。

今度は、490円ではみそ汁がつかない同士の、弁当とSoft Bankの家族割りに付いて考えることになった。

これもソートーに高度な哲学的、思索的アプローチで、妙に納得が行かないところが狙いな訳だ。 

こりゃ~これからのケイタイの世界は、よほどIQが高くないと着いていけないのかも知れない。

もともとあの家族構成を理解するのが2回転半くらいに難しかったのだけれど、そこは、圧倒的な露出頻度で、日本人なら知らない人はいない有名家族になってしまっているのだから、もう今さら何をかいわんやだ。

先日、天才バカボンのCMで感じたこととは、また全く違う角度から、今日も(テレビの)CMに付いて考えてしまった。

理屈で失礼すると、これがいわゆる「情報過負荷時代」のTVによる広告の一つの選択(≒結論)な訳だ。

アピールポイントが増えすぎて、かつ、競合差別性が薄れて、もう、正攻法での説明のしようが無いから、「奇手」×「リーチ」を持って注目と記憶化を狙う。 好意は・・・人それぞれ(&ターゲットのセンス)だ。

このクリエイティブに、代理店がしのぎを削る。 優秀なクリエイターが心血を注ぎあう。 莫大な広告費が費やされ、それは消費者が払う。

時勢に合わせて漂い流れ、CMは一定の(相対的)成果を、上げたり上げなかったりして、また次の工夫を生む。

時代に迎合しているそのCMが、とは言え一面では、大量の情報量で”文化”を創る側でもある・・・・。

結論は無いのだが・・・ちょっと考え込んでもしまう。

今、Suntory南アルプスの天然水のCMが流れた。大滝秀治さんの声が僕の腹に届いた。

男性諸君!立ってする?座ってする?

おうちのトイレ≒ほとんどが洋式。

その洋式のトイレで・・・男性が、小さい方の用を足す時・・・・さて、立ってするか?座ってするか?

その比率はどうなんだろう? 地域差は? 年齢差は?

男性の威厳の問題だ。いや、汚さないし合理的だ。と、賛否両論、論点もさまざまだけれど、果たしてみな三度うなされているのだろう???

と言う、実に興味深い”密室のなぞ”に迫ったアンケートとを、我等がネピアのマーケティング部が、メルマガ会員10万人に問いかけた。

その結果がこちら→男と女のトイレ事情

意外? 

それとも納得?

ちなみに僕は・・・ほぼ95%座ってしてます。この5年~10年位になるかな?

吉田拓郎/人間なんて/1979/つま恋

何となく・・・聴きたくなって・・・また聴いてしまいました。

何となく・・・・・・30年、すとんと、逆戻りした気分になりました。

 

吉田拓郎/人間なんて/1979@つま恋

 

夜中のyoutubeに感謝

昭和は歴史か。

このところ読んだ小説二巻が全くたまたまなのだけれど、どちらも幕末から維新のころの動乱の最中を生きた人が、明治を過ぎ、大正を経て、昭和まで生き残って人生を反芻している、と言った描かれ方をしたものだった。

先に読んだのが、壬生義士伝/浅田次郎。つい今しがた読み終えたのが、その男/池波正太郎。

どちらも、主人公は幕末維新の時期に剣に命を掛けて生き、或いは死に、本人やその仲間や、縁者、子孫が、その後の新しい時代に生きていて・・・と言う設定の中で、日本と言う国の今日や、人間の何たるかを語っている本だった。どちらも・・・良かった。

で、ちょっとおかしな読後感なのだけれど・・・・

先の「壬生義士伝」では、新撰組の隊士で勤皇浪士を切り倒して勇名を馳せた人たちが、大正バブルの時代にまで生きて市民として暮らしていることを。また、後の「その男」では、同じように幕末、公儀の隠密働きから鳥羽伏見の戦などを経て、明治十年の西南戦争を体験した剣士が、明治大正は愚か、昭和にまで生きて大往生をしていることを書いている。

読み手の感覚としては、ちゃんばら映画や歴史小説の世界である「幕末維新」の立役者が、先の小説では「大正と言う現代」まで、後の小説では「昭和と言う現代」まで生きて、普通に孫たちに囲まれている幸せ?の違和感を見事に描き出して、「歴史」と「現代」のつながりに付いて何かを語りかけてくれている。

さてその「現代」なのだけれど、昭和25年生まれの僕にとっては、戦後の「昭和」がまさに「現代」で、「平成」は単にその続きの時代で全く繋がっている。戦前の昭和と「大正・明治」は遠い過去で、「幕末・維新」はむしろ元禄からつながった歴史の世界だ。

そこを考え直してみろ!と、言われた気のする小説だった。「現代」は「歴史」と繋がっているのだと。そしてもう一つ感じた。「現代」と言う感覚の起点、基準は、その人の世代によって全く違うんだな~と。

小説の主人公は、歴史の舞台で華々しく活躍し、白刃を振るって命のやり取りをした後、平和な現代に生きていた。

僕の父は大正5年の生まれだ。当然ながら先の大戦に徴兵され、命のやり取りの場に身を置き、その後のシベリア抑留を経験して、命を保っての帰国後、母との間に僕を生んでくれた。

新撰組の看板隊士ほど格好良くもなく、武士の一分を貫いてもいないけれど、命のやり取りの空気は・・・当然ながら知っていた訳だ。が・・・、僕には素晴らしく優しい父であり、孫にはこの上なくいいおじいちゃんだった。・・・・当たり前である。かの人も、僕にとっては「歴史」である過去と、「現代」を繋いで生きた普通の人だ。

そして「昭和」が過去であり、歴史である人がどんどん増える。

亡くなった小渕もと総理が官房長官だったなあ。「平成」と言う年号を書きしたためた半紙を持って現れ、お正月の4日だったろうか?記者会見していた。その夜僕は仲間とカラオケに興じていて・・・平成21年の今を生きていて、もうじき人並みに孫も生まれそうだ。

おや、その平成生まれの石川遼くんが、初のマスターを、初日1オーバーの51位と言うニュースだ。

千鳥ヶ淵の桜吹雪。

桜09.jpg

何となく出かけそびれていて、ようやく今日、千鳥ヶ淵の夜桜を見た。なんと!今日がライトアップの最終日だった。危ない危ない。

暖かい宵だった。

既に満開を過ぎて・・・十二分咲き? 期せずして散り行く桜の美しさに触れた。お堀には散り零れた花びらが漂っていてそれも、なんとも言えず美しかった。

風に吹かれて桜が、まさに”桜吹雪”になって振りこぼれると、その瞬間、観桜の客の波からどよめきのような歓声が一斉に湧き上がった。

圧巻だった。僕も思わず拍手をしてしまった。

日本全国に桜の名所は多いし、物好きな僕は結構それらを訪ね歩いたりもしたけれど・・・ここ、東京のお膝元、千鳥ヶ淵の桜は押しも押されもしない横綱級だと思う。

取分け、美しくライトアップされた夜桜が好きだった。

悲しいかなここは、飲み食い厳禁どころか、立ち止まっただけでも怒られるという風情のなさなのだけれども、それでも出かけたくなるほどの、圧倒的な美しさだった。

だった・・・と、過去形で書いているには訳がある。

今日ははやばやと、日の落ちる前に着いて歩き始めた・・・。何となくいまいち迫力が無い。いつもの感動が襲ってこない。

薄暮の時間で、まだライトアップの効果が出ないんだな・・・と、時を待った。

あれ?未だこないぞ!あの感動が!! あれれ・・・対岸の、皇居側の桜はもっと明るくきれいだったのでは? アレレレレレレ??なんか変だぞ、今年は変だぞ???

一番の見せ場のボート乗り場のところに来ても・・・ううううむ今一???だ。

千代田区役所のテントで聞いてみた。「あの~今年はライティング変えました?」

「ハイ! LEDにしました。熱を持たないので桜にやさしいんです・・・ちょっと暗いんですが・・・・」との答え。

なるほどね・・・ここにもエコの波か・・・。 でもちょっと微妙~~。 まるで違うんだものな~~~。

桜って、潔く一気に咲いてさっと散って、見られることを喜びに思うマゾっぽい花だろう! 多少熱くても、去年までのライトアップの方が、桜も嬉しかったんじゃないのかな~~。 と言うのは変な理屈だろうか?

来年からは、昼間の観桜にしようかな。

テポドン騒動に思うこと。

北朝鮮のテポドン発射の予兆、予告からのこの一週間余。

つくづく寂しい日本の振る舞い。

やれ、けしからんの、許せんの、打ち落とすの、落せないの・・・、挙句の果ては誤報騒動・・・責任問題。

 

ただただ目先の事象に振り回された、定見の無い発言ばかりが、ずるずると繰り返されるみっともなさ。

何故今、北朝鮮がテポドンなのかと言う洞察も無ければ、

こんなときこそ! 世界の平和を切望する。といった、大所高所の発言もない。

 

北朝鮮に、この十年以内に政治的な変化があったとき、日本とアジアはどうなっていくのかを、ちゃんと考えている国民はどれほどいるだろう?

かく言う僕自身、それを考えるための情報が余りにも少ない。

大方の日本人がこうなのだろう。世界と日本の関係に余りにもうとい。

ダルマの七転八起・・・SUNTORY OLD、中吊りワイド広告の爽快!

朝日新聞本社前の築地市場駅から大江戸線に乗って、大門から都営浅草線に乗り継いだ。

週刊誌、経済誌の広告の見出しが、どれもこれも”底なし大恐慌の喧伝合戦”に終始する中で、見つけた!爽快広告・・・SUNTORY OLD、人呼んでダルマ

神武景気から始まって・・・86年のバブル景気→92年のバブル崩壊→02年のIT景気→その崩壊→08年いざなみ景気→そして今回の世界恐慌・・・と、好況→不況の変遷を、中吊りワイド広告の横軸にとって、そこに立っているダルマと転んでいるダルマをずらりと並べている。そして最後は、上向き矢印で ”2009年 やるっきゃない!”と。

何だかすごく嬉しくなった!

このことを書きたくなって、またまたWebで広告の写真を探したのだけれど・・・まだUPしていない。

下手くそなケイタイ写真でもいいから撮って来ればよかったと・・・深く反省。(今度見つけたら撮ってきて貼り付けます)

”反省”と言えば、先日書いた某流通大手の広告だけれど、今日も仕事仲間と話した。あの広告は・・・やはりちょっとおかしいという意見が多い。

広告がおかしいだけじゃなくて、流通のリーダー・カンパニーが、いずれも単なる安売り合戦で・・・それでいいのかと言う疑問がふつふつと湧く。

安売り路線を選択する。と、これだけ大声で言うのなら、理不尽なメーカーへの値引き要請以外の構造的な改革で、安値を実現する政策を歌って欲しい。

デフレスパイラルは、人の心理と行動の連鎖が起こす人災だ。

 これ以上書くと、くどくなりそうだ・・・。

プロフィール

VM Lab 辻井 良一

1983年セールスプロモーションの企画制作会社「株式会社アイベックス」を設立。プロモーション・プランナーとして、「売れる仕組みづくり」をキーワードに、さ まざまな企業の販促キャンペーン、市場導入プラン等に携わる。日本初のネットキャンペーン、キリンビバレッジ社「ネットでFIREキャンペーン」などを手がける。
このブログについて

VMLabについて

25年間プロモーションの最前線で、「売れる仕組みづくり」に携ってきた私、辻井良一(DG&Ibex創業者)が主宰する、「これからのマーケティング」を考えるラボです。
www.vmlab.jp

ブログパーツ

 

このアーカイブについて

このページには、2009年4月以降に書かれたブログ記事のうち無益な話題カテゴリに属しているものが含まれています。

前のアーカイブは無益な話題: 2009年3月です。

次のアーカイブは無益な話題: 2009年5月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。