映画と読書: 2009年4月アーカイブ
昭和は歴史か。
このところ読んだ小説二巻が全くたまたまなのだけれど、どちらも幕末から維新のころの動乱の最中を生きた人が、明治を過ぎ、大正を経て、昭和まで生き残って人生を反芻している、と言った描かれ方をしたものだった。
先に読んだのが、壬生義士伝/浅田次郎。つい今しがた読み終えたのが、その男/池波正太郎。
どちらも、主人公は幕末維新の時期に剣に命を掛けて生き、或いは死に、本人やその仲間や、縁者、子孫が、その後の新しい時代に生きていて・・・と言う設定の中で、日本と言う国の今日や、人間の何たるかを語っている本だった。どちらも・・・良かった。
で、ちょっとおかしな読後感なのだけれど・・・・
先の「壬生義士伝」では、新撰組の隊士で勤皇浪士を切り倒して勇名を馳せた人たちが、大正バブルの時代にまで生きて市民として暮らしていることを。また、後の「その男」では、同じように幕末、公儀の隠密働きから鳥羽伏見の戦などを経て、明治十年の西南戦争を体験した剣士が、明治大正は愚か、昭和にまで生きて大往生をしていることを書いている。
読み手の感覚としては、ちゃんばら映画や歴史小説の世界である「幕末維新」の立役者が、先の小説では「大正と言う現代」まで、後の小説では「昭和と言う現代」まで生きて、普通に孫たちに囲まれている幸せ?の違和感を見事に描き出して、「歴史」と「現代」のつながりに付いて何かを語りかけてくれている。
さてその「現代」なのだけれど、昭和25年生まれの僕にとっては、戦後の「昭和」がまさに「現代」で、「平成」は単にその続きの時代で全く繋がっている。戦前の昭和と「大正・明治」は遠い過去で、「幕末・維新」はむしろ元禄からつながった歴史の世界だ。
そこを考え直してみろ!と、言われた気のする小説だった。「現代」は「歴史」と繋がっているのだと。そしてもう一つ感じた。「現代」と言う感覚の起点、基準は、その人の世代によって全く違うんだな~と。
小説の主人公は、歴史の舞台で華々しく活躍し、白刃を振るって命のやり取りをした後、平和な現代に生きていた。
僕の父は大正5年の生まれだ。当然ながら先の大戦に徴兵され、命のやり取りの場に身を置き、その後のシベリア抑留を経験して、命を保っての帰国後、母との間に僕を生んでくれた。
新撰組の看板隊士ほど格好良くもなく、武士の一分を貫いてもいないけれど、命のやり取りの空気は・・・当然ながら知っていた訳だ。が・・・、僕には素晴らしく優しい父であり、孫にはこの上なくいいおじいちゃんだった。・・・・当たり前である。かの人も、僕にとっては「歴史」である過去と、「現代」を繋いで生きた普通の人だ。
そして「昭和」が過去であり、歴史である人がどんどん増える。
亡くなった小渕もと総理が官房長官だったなあ。「平成」と言う年号を書きしたためた半紙を持って現れ、お正月の4日だったろうか?記者会見していた。その夜僕は仲間とカラオケに興じていて・・・平成21年の今を生きていて、もうじき人並みに孫も生まれそうだ。
おや、その平成生まれの石川遼くんが、初のマスターを、初日1オーバーの51位と言うニュースだ。


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