映画と読書の最近のブログ記事

休日の読書。

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何気なく読んでいるうちに、思わず涙腺をやられてしまうことは・・・よくあるほうの僕だが、この週末は覚悟して臨んだ一冊でやはり見事に!やられてしまった。

平成の泣かせ屋?の異名をとる浅田次郎。その一冊は「天国までの100マイル」。(笑?)

数ある浅田作品の中で、何故かこればかりは読んでいなかったのだけれど、もうずいぶん以前に、何人かとの会話の中で「えっ!辻井さん、そんなに浅田好きだと言うのに、これ読んでなくちゃモグリでしょう!」くらいに言われて、しかも親切に、数日後その一冊を貸してくださった人がいて・・・。

「これは、泣けますよ」と。

それからもう半年以上。僕は何度も何度も、旅行の時にバッグに忍ばせていたり、週末に、ソファーの脇においてみたりしたのだけれど、「これは泣けるよ」のフレーズが気になってか?無意識の内に避けるような具合になって、未読のままだった。

それを、この週末、意を決して読んだら、はい、作者の計算どおり、何度も泣いてしまいました。

あ~情け無い、安涙。いや、心地よい読後感。

数ある浅田作品の中で、この作品は決してそんなに深くはない方かもしれない。設定が計算ずくだし、登場人物がみな、期待どおりに振舞うし、展開もおよそ見えてきてしまうくらいにシンプルだ。

それでも泣けるのは・・・彼の筆の力か?僕の涙腺の欠陥か?・・・それとも、心のひだに刻まれた僕の何かが、作者の計算に見事に反応してしまったか・・・。

ちょっと悔しく、かなり心地よい週末の一冊だった。

次は、泣かずに読める一冊に挑もう。先日、八重洲ブックセンターで人と待ち合わせた際に仕込んだ、塩野七生の「日本人へ・・・」リーダー編と国家編が手元にある。

夏休みは「ローマ人の物語」を、もう一度読み返すのもいいかもしれない。

できそこないの男たち。

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今日のタイトルは、僕が、愚かな人生を反省してのつぶやきではない。

生命科学博士福岡伸一先生の著になる本のタイトルで、光文社新書からでている。面白くておもしろくて一気に読み通してしまった。

46億年前に誕生した地球に、生命が発生するまでに10億年。その後10億年間は、生命の「性」はすべてが「メス」であった。「生命の基本仕様」は「女」であり、本来、全ての生命は先ず「メス」として発生する。メスは、命を紡ぐ太い縦糸で、オスとは、そのメスの(遺伝子の)系譜を、時々シャッフルして、自然への適応力を保つ為だけの「使い走り」とも言うべき、か細い横糸の存在でしかありえない。・・・・のだと。

著者は、Y染色体の研究の進化から書き進め、この事実(=男は女の使い走り)を実に分かりやすく、時に詩的に、時にユーモラスに、私にも解かるように書き進め、解き明かし、最後にはまったく”納得”させてくれる。

読み進めるうちに、全くもってこれはそうか!と、納得せざるを得ない事例が次々に挙げられてくる。

ヒトの体の構造で、男の性器は、女性のそれの間に合わせ的設計変更だとするあたりは以前に聞きかじったこともあったし、いちいち説得力に富んでいるのだが、僕が完全にそうか~と納得したのは、アリマキ(あの植物に群がる小さな虫)の話だった。

植物に群がり液を吸うアリマキは、全ての固体がメスで、ひとシーズンの間はそのメスが、自分一人で、胎生でまた自分のクローンのメスを生みながら増殖してゆく。それが、秋になると突然にX染色体が一個足りない(=かたわモノの)「オス」を生み、自分もそれと交尾して、初めて卵を産み、命を終える。

春になって生まれる新しい個体は、また全てがメスで、シーズン中は勝手に増える。秋になると突然オスを生み・・・

つまり、アリマキの長い命の歴史の中で「オス」とは、ひとシーズンの終わりに、メス達の染色体をシャッフルさせて、新たな特性を備えた固体に命をバトンタッチさせる為だけの道具なのだと・・・。

男性が、総じて弱く短命なのも、本来、使い捨ての役割なのだから・・・当然なのだと。

うううん、面白かった!!僕にこの本を薦めてくれたTTさん、KIさん!ありがとうございました。

この、生物学的な定めを深く認識し、勘違いのない人生を送りたく存じます。

竜馬が行く。

司馬遼太郎の竜馬が行くを、今ころになって読んでいる。

青春の読書100選!とかに必ず入っていそうなのを、この年になって・・・が、ちと恥ずかしいのだけれど、読んでいる(今四巻目/全八巻)。

本は、昔から嫌いじゃなかったつもりで10代は乱読した。20代は・・・怠けた。30代は・・・心身ともに忙しすぎた。40代になってから、また俄然読み出した。読み出したのだけれど、やっぱり忙しかったので意図的に長編は避けた。司馬遼は好きで読んだけれど、先ず短編から読んだ。50代の前後になって、多少時間のコントロールが出来るようになって、満を持して長編にもトライし始めた。

歴史好きの僕にとっては、司馬遼の長編は大事にとっておいたお菓子のような存在で、ワクワクしながら読み始めたのだけれど・・・最初に選んだのが悪かったのかもしれない、翔ぶがごとくから始めてしまって・・・ちょっと参った。

司馬遼を称して、”小説家が途中から思索家に豹変してしまった人”と言う人がいる。当たっていると思う。

筋が追えずに、途中で哲学的思索や歴史観の披瀝に付き合わされるのが、嫌いじゃないのだけれど時々辛くなる。

その点、菜の花の沖は良かった。坂之上の雲も流れで読めた。

で、今回は、覚悟を決めて竜馬が行くに挑戦したのだけれど・・・これが、全くもって予想に反していて驚いた。

池波を呼んでいるような錯覚に襲われるくらい、しっかりエンターティメントの”小説”だ。

ストーリーと展開で、ぐんぐん引っ張られてしまう。

こんなに”小説”っぽい司馬遼は・・・嬉しい。まだ半分残っているのが嬉しいって、本好きの人ならみんな感じる想いだろう。大好きなお菓子が、まだこんなに残っている幸せ・・・・だ。

映画「シンデレラマン」に、素直に拍手。

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シンデレラマン.jpg
TSUTAYAで検索!の成果①かな?DVDで、映画「シンデレラマン」を見た。1930年代大恐慌時代のアメリカに実在したボクサー、ジム・ブラドックを描いた作品で、2005年のアカデミー賞のようだ。

のようだ・・・と言うくらい、僕はこの映画を知らずに見た。選んだきっかけは、奥さん役で出演している女優レニー・ゼルウィガーの方で、彼女の映画はブリジット・ジョーンズの日記シリーズが大好きだ。

観おわった後で気になって映画の評判を調べてみたら、やはりみなさんなかなかの評価をされている。

ボクシングのリングのシーンが何度もある。これがみな、実にリアルで迫力がある。(この迫力への評価が高い)

レニー演じる奥さんが、実にいい。

ラッセル・クロー演じる、ボクサーのジミーが、実にいい。

二人が演じる、恐慌時代の絶望的な貧困のNY市民の生活が、身に詰まる感覚で伝わってくる。

その貧困を、ジミーは一人の男として、父として、夫として、両の拳で打ち破る。羨ましいくらいに、偉い男だった。

映画が描き出したのは、人として生きることの尊さか・・・。

シンプルなストーリーに、シンプルに心打たれた。

淀川さんじゃないけれど、いや~映画って本当にいいですね。

と言える気分になれた

見終わって、実はひとつ心配になった。これは実話か?と。実話でよかった。しかも、ほとんど史実に忠実のようだ。アメリカ人も、偉いやつは偉いんだ!!

映画ハゲタカが話題だ。

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ハゲタカ.jpg
真山仁原作の本のドラマ化の映画化なのかな?

あまり気にしていなかったのだけれど、ここ数日続けざまにハゲタカの話題を耳にした。

映画のHPを見てみたら、いかにも興味深い作りだ(ま~、予告編と言うのはどんな駄作も傑作と期待させるけれど・・・)

それにしても、人間と言うのは強い生き物だ。

我が身を焦がす混乱の坩堝、過酷な地獄の中でも、それを娯楽にして楽しんでしまう。

強いと言うより・・・客観的?

客観的と言うより・・・諦観?あきらめ?

いや、やっぱり力強さだな根本にあるのは。

「ゲンチャネーヨー」だったっけ?韓国語。

インドの「ノープレブレム」は有名。

アラブなら「インシャラー」か。

日本語は・・・どうなるのそんな時?こんな時。

歴史的な政権交代をかけて、実質総選挙のさなかだ。

蒸し暑い日本。

スラムドッグ$ミリオネア・・・良かった。

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映画「スラムドッグ$ミリオネア」を観て来た!想像以上に・・・・良かった。

最近久々に満足できた映画だった。

不思議な音楽と画面のテンポとが、独特の印象を与えてくれる。

大金をかけて、何も伝えてくれないハリウッドの映画屋さんに、煎じて飲ませてやりたいエキスが詰まっていた。

速いテンポで見せてくれるから、意外と楽に見られるけれど、実は結構深~い問題もえぐっている。

一昔前のインドを知っている人ならなおさらのことだろう。

 

運命に翻弄されて諍った兄弟が、建築中の高層ビルの上で会うシーン。

ムンバイのスラム街の跡地が、高層ビル街になって行く中で・・・・ギャングになっている兄が「ここが俺たちの育ったスラムの跡だ・・・インドは世界の中心になって行く・・・」と語るシーンがある。

ちょっと印象的なシーンだった。いろいろな思いが頭をよぎった。

エンディングが・・・またいい。

インド映画お約束の集合ダンス&ミュージックのシーンがたっぷりある。

映画館を出るときは、なぜか自然にニコニコな顔になっていた。

例によって不勉強な僕は、この映画・・・ハリウッド映画だと思っていた。

見てみたら、どうも違う。

たまらずネットで調べてみた。 イギリス映画だった。イギリスはインドの宗主国だ・・・なるほどな・・・この映画の深さ訳の一端がわかった気がした。今田から出来た映画なんだ。

この監督・・・ちょっとすごいと思う・・・ダニーボイル

他の作品も見てみなくてはと思った。

昭和は歴史か。

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このところ読んだ小説二巻が全くたまたまなのだけれど、どちらも幕末から維新のころの動乱の最中を生きた人が、明治を過ぎ、大正を経て、昭和まで生き残って人生を反芻している、と言った描かれ方をしたものだった。

先に読んだのが、壬生義士伝/浅田次郎。つい今しがた読み終えたのが、その男/池波正太郎。

どちらも、主人公は幕末維新の時期に剣に命を掛けて生き、或いは死に、本人やその仲間や、縁者、子孫が、その後の新しい時代に生きていて・・・と言う設定の中で、日本と言う国の今日や、人間の何たるかを語っている本だった。どちらも・・・良かった。

で、ちょっとおかしな読後感なのだけれど・・・・

先の「壬生義士伝」では、新撰組の隊士で勤皇浪士を切り倒して勇名を馳せた人たちが、大正バブルの時代にまで生きて市民として暮らしていることを。また、後の「その男」では、同じように幕末、公儀の隠密働きから鳥羽伏見の戦などを経て、明治十年の西南戦争を体験した剣士が、明治大正は愚か、昭和にまで生きて大往生をしていることを書いている。

読み手の感覚としては、ちゃんばら映画や歴史小説の世界である「幕末維新」の立役者が、先の小説では「大正と言う現代」まで、後の小説では「昭和と言う現代」まで生きて、普通に孫たちに囲まれている幸せ?の違和感を見事に描き出して、「歴史」と「現代」のつながりに付いて何かを語りかけてくれている。

さてその「現代」なのだけれど、昭和25年生まれの僕にとっては、戦後の「昭和」がまさに「現代」で、「平成」は単にその続きの時代で全く繋がっている。戦前の昭和と「大正・明治」は遠い過去で、「幕末・維新」はむしろ元禄からつながった歴史の世界だ。

そこを考え直してみろ!と、言われた気のする小説だった。「現代」は「歴史」と繋がっているのだと。そしてもう一つ感じた。「現代」と言う感覚の起点、基準は、その人の世代によって全く違うんだな~と。

小説の主人公は、歴史の舞台で華々しく活躍し、白刃を振るって命のやり取りをした後、平和な現代に生きていた。

僕の父は大正5年の生まれだ。当然ながら先の大戦に徴兵され、命のやり取りの場に身を置き、その後のシベリア抑留を経験して、命を保っての帰国後、母との間に僕を生んでくれた。

新撰組の看板隊士ほど格好良くもなく、武士の一分を貫いてもいないけれど、命のやり取りの空気は・・・当然ながら知っていた訳だ。が・・・、僕には素晴らしく優しい父であり、孫にはこの上なくいいおじいちゃんだった。・・・・当たり前である。かの人も、僕にとっては「歴史」である過去と、「現代」を繋いで生きた普通の人だ。

そして「昭和」が過去であり、歴史である人がどんどん増える。

亡くなった小渕もと総理が官房長官だったなあ。「平成」と言う年号を書きしたためた半紙を持って現れ、お正月の4日だったろうか?記者会見していた。その夜僕は仲間とカラオケに興じていて・・・平成21年の今を生きていて、もうじき人並みに孫も生まれそうだ。

おや、その平成生まれの石川遼くんが、初のマスターを、初日1オーバーの51位と言うニュースだ。

五郎冶殿御始末。

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「五郎冶殿御始末」は中公新書刊、浅田次郎の短編集。年の瀬の徒然に、あまり重たいのを読む気分でも無く、眠り薬代わりにと読んだのだが、六編の短編はいずれも味のあるものだった。特に巻末の二編「石榴坂の仇討ち」と表題作「五郎冶殿御始末」の二編は良かった。

幕末の動乱期に、武士として必死に生きた人たちに、忽然と訪れた明治の時代。廃藩置県、廃刀令と、武士の魂の拠りどころが一気に崩れ去ってゆく中で、男として、人間としての「始末」をどうつけるかというと言うテーマで綴られている。

「石榴坂の仇討ち」は、桜田門外の変の時に、井伊直弼の警護に付いていて、あっさり主君の首を奪われてしまった侍 志村金吾の、その後の話。務めを果たせなかった息子を恥じて親までが自害してしまう。仇討ちを命じた藩すらなくなってしまう。流浪十余年。首尾よく仇と巡りあえて彼は人生の始末をつけることができる。

その仇は脱藩会津藩士佐橋何某。車引きに身を落としていた。桜田門で本懐を遂げた後、その場で自刃した者、自訴して見事切腹した者は、その後国士として称えられるが、事の始末を間違い、死に場所を失って逃走し、そのまま生き残ってしまった者には、やはり辛い余生が残っていた。

仇が引く車に乗って新橋駅から高輪石榴坂への道々、二人のやり取りがなかなか深い。

桑名藩士岩井五郎冶の話は、この短編集の巻末に置かれるに相応しく、男の「始末」と言うテーマをもっとも判りやすく書いてある。作中の一節、「人は、自分の苦労は語ってはならない」は、実に含蓄の深い言葉だ。

日本近代史の学者、磯田道史と言う人を僕は知らなかったが、その人の手になる「解説」が要を得ている。日本の近代史観の中で、幕末・明治が遠くに追いやられすぎていることが、文化の一貫性を欠く原因になっているとする氏の論は、僕も全くもって同感の部分だ。

そして、解説は言う。「浅田氏がこの短編を書き綴っていた当時は、日本経済は、バブル崩壊の後始末のさなか、山一・拓銀の倒産、失業と自殺と、どん底にあえいでいた暗い時代だった」「ひとつの時代が終わる時、必ず後始末と言うものが必要になってくる」と。氏は無論、今日のことを知らない。

六編の短編の六人の主人公達は、決して格好良く完璧に後始末を付けた訳ではない。揺らぎながら、悩みながら、何とか自ら納得の行く後始末にたどり着く。

「始末」とは、次へのスタートのために、必要不可欠なものなのだ。

年末に読んだ一冊に、ちょっとだけ勇気をもらえた感がある。

 

「恩田木工」で思わずクリック。

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世界の景気を左右しかねない、米国リーマン問題の行くへが気になってNIKKEINETを立ち上げてみたら、右側に「恩田木工」の厳つい顔が飛び出してきていて、思わずクリックしてみた。僕のクリック率は極めて低い。一日に何ページのSiteをビューするか数えたことも無いが、その中で広告をクリックしてみるのは一ヶ月に一度あるかないかの確率だから、このインプレッションはよほど僕に刺さったのだろう。もちろん半分は、マーケッターとしての興味があった。

恩田.jpg
その僕が思わずクリックし、しかも内容を読み進んでしまったのがこれ→「戦国幕末の偉人に学ぶ企業経営」*このコンテンツが何時まで読めるのかはわからないけれど、一応リンクを貼っておこう。アフィリエート契約はしていない/笑。

恩田木工は、池波正太郎の小説「真田騒動」で読んで知っていた。小説自体は結構重たかった記憶がある。救いようの無い事態の深刻さと、彼の振るう改革の鉈の厳しさ。この時代にこの藩に居たくなかったと感じさせるほどの凄まじさが伝わってきたのを覚えている。

信念と率先と論陣と仕組みで一国の財政を立て直した偉人だ。藩人全員に苦労を強いながら統率してゴールに持ち込んだリーダーシップは確かに現代に通ずる経営の鏡だ。

この企画広告では、その恩田木工の偉業を三つの要素に分けて紹介し、その成功の構造をITのソリューション導入の意義と重ねて解説している。

FUJITSUやるじゃん!!

いや僕はこの広告の企画を練り、このレベルにまで高めて実施にこぎつけたプランナーとCRのスタッフに拍手を送りたい。実によく出来たコンテンツだ。

がしかし、Net広告の定めで商品の資料請求・ネットでの見積もり依頼にまでつながっている。この広告で見積もり依頼が何件来て、何件成約に至ったかのROIだけで成否を判断して欲しくない。CTRを競うネット広告の中でも、時としてブランディングは可能だ。また反面、出稿する側は意識していなくとも、受けて側からはブランドの印象としてマイナス印象が蓄積して行く広告が多数ある。いつも、ブランドの側は見られているのだ。

この企画は雑誌ダイヤモンドのような切り口だ。「賢者は歴史に学ぶ」という僕の自論に上手に刺さってきた。この角度に弱い経営者やビジネスマンは結構多いのではないか。ターゲットの関心と自社商品の訴求点をコンテンツの上で合致させた点が評価できる。小説.jpg久しぶりに(Net上で)いい広告に出合った気がする。  

まさに、広告はコンテンツの時代だ。

 

ちなみに池波正太郎の真田騒動はこちらだ。これも残念ながらアフィリエートにはなっていない。

池波本としてはかなりシリアスに、まじめに書き込まれた一作だと感じた記憶が残る。

 

映画 エリザベス ゴールデン・エイジ。

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エリザベス.jpg
前作も見たが、主演のケイト・ブランシェットはどんどん良くなる。

今回は素晴らしかった。女王そのものになりきっていた。

全盛期のスペインが無敵艦隊を差し向ける。世に言うアルマダの海戦(1588年)。新興のイングランドなどはひとたまりもなく踏み潰されるはずの運命だ。だが、歴史にはドラマあり、イングランドは奇跡の勝利を手にして、以降の隆盛に向かう。

この間の、独身の女王としての、また一人の女としての苦悩と責任感との中で揺らぐバージンクイーン・エリザベスを彼女は完璧に演じて見せている。

責任、恐れ、愛、嫉妬、慈悲、誇り、決意・・・さまざまなものが彼女の胸のうちを駆け巡る。

占星学博士との二人のやり取りが好い。

僕は英国の歴史には明るくない。この映画が何処まで史実を反映しているのかは判らない。

だが、ドラマとしては完成度があると感じた。

プロフィール

VM Lab 辻井 良一

1983年セールスプロモーションの企画制作会社「株式会社アイベックス」を設立。プロモーション・プランナーとして、「売れる仕組みづくり」をキーワードに、さ まざまな企業の販促キャンペーン、市場導入プラン等に携わる。日本初のネットキャンペーン、キリンビバレッジ社「ネットでFIREキャンペーン」などを手がける。
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VMLabについて

25年間プロモーションの最前線で、「売れる仕組みづくり」に携ってきた私、辻井良一(DG&Ibex創業者)が主宰する、「これからのマーケティング」を考えるラボです。
www.vmlab.jp

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