小さな気づきの最近のブログ記事
草の根のNPO法人をお訪ねして。
先週、クライアントのCSR活動のお手伝いで、東北地方の災害支援活動に取り組むNPO法人さんを数軒回ってきた。
みなさん素晴らしい活動をされていて、頭の下がる思いだった。(活動紹介はこちら→「支える人を支えよう!」)
その中の一軒、仙台市のNPO「ワンファミリー仙台」(代表:立岡学氏)は、もともと、ホームレスの方々の自立支援に取り組んでこられていて、今回の震災直後には、緊急の炊き出しなどで大活躍された団体だ。
立岡さんのお話を伺っていて、目からウロコの感を覚えた。
「一つの社会問題を、もう一つの社会問題と絡めて、双方の解決を考えてみるんです」と、言われた時はすぐにはぴんと来なかったのだけれど、氏のNPOのスタッフの半数以上(7~8名)の方々が、もと路上生活経験者だと言われてやっとわかった。
路上生活者の方々の見守りや、炊き出しのお世話を、当の路上生活者の方々と一緒に進めるのだという。
朝の炊き出しを始めるにあたって、「みんなで公園のごみ拾いをしてから朝ごはんにしよう!」と言う活動から始まり、やがてその活動の世話役を買って出たホームレスの方を、徐々にスタッフにして行き、自立のためにアパートを借りる際の保証人にもなり、ホームレスケアの事業を拡大していった。それでも、引き取り手の身寄りもない中で生涯を終える方もいる。だから”ワンファミリー”≒「一家族」と刻んだお墓も用意したのだと聞いたとき、僕は不覚にもハンカチを取り出してしまった。
今回は、そんなスタッフたちが震災の当日夜から炊き出しを実施し、さらに全国から寄せられた支援物資を必死で種分けし、行政の手の行き届きづらい孤立被災地などにせっせとトラックで運んだそうだ。
物資を持って避難者を訪れた際に、最初は警戒されてなかなか受け取ってもらえず、急ぎ、市や県から証明書を出してもらったという、「なにしろ、うちのスタッフ・・・ちょっと見てくれが恐い人も多いもので・・・あとでドーンと請求書が来るんじゃないかとか、警戒されちゃったんです」と、氏は笑いながら話してくれた。周囲のスタッフたちも、にこにこと忙しく働いていた。今も、そうした避難者たちの見守り訪問を、スタッフたちで行っている。
その立岡氏のNPOなどが中心となり、今後は、老人などの孤独な避難生活者の見守り事業を大規模に進めるという。仙台市から委託を受け、60人規模の見守り活動者を雇用して行くそうだが・・・当然、雇用対象者は、今回の震災で職を失った方々で、その見守り訪問活動のコーチ役には現スタッフたちが当たる。
一つの社会問題と、もう一つの社会問題を絡めて考える。と言う氏の発想は、恵まれた立場にある人々の、罪滅ぼし程度の慈善事業とは一味違う深さを持って、僕に何かを教えてくれた気がした。
風の谷のナウシカ
福島原発の事故が起きて以来、ずう~っと宮崎駿の風の谷のナウシカのことぼんやりとを思い出していた。
文明世界が滅んだ後、汚染された「腐海」の周辺に、ひっそりと暮らすナウシカたちの物語の後半に「巨神兵」は登場する。文明世界を営んだ先人達が、絶え間ない紛争を収めるための最高の力として作りだした「巨神」は既に化石と化していたが、その化石一体の命の石が動かされて、巨神は成長を始めやがて人々の手に負えなくなって行く・・・・・。
人が英知の限りを尽くして作り出したものが、やがて制御不能になりわが身を滅ぼす災いがもたらされるという筋書きはSFの定番だが、宮崎駿の描いた巨神は、平和のために生み出されたものだという設定であるところが奥深い。
劇場版は1984年の公開だ。彼は今日を見ていたのだと思う。
「我欲に駆られた日本人に天罰が下った」とは、慎太郎親父も言葉が過ぎたが、言いたいことはわかる。帰宅難民を早々と駅構内から追い出してトイレも貸さなかったJR東日本への噛みつきも同感だ。
上っ面の社会貢献やコーズマーケティングが氾濫気味だったが、さあ今度ばかりは本物だ。周囲のあちらこちらから本心からの貢献願望が沸き起こっている。義援金の呼びかけも、節電の努力も、通勤の苦労に耐える姿勢も、今は心底からの行動に見える。
外資の会社が続々と日本からの撤退やアジアの他都市への移転を進めている。今日も友人から日本の事務所をすべて閉じて、社員は全員一斉にシンガポールへ移動する、お前も危ないぞとのメールが届いた。(エンガチョ~と返信しておいた)
金曜の夜から・・・今日はもう水曜日。この数日で僕はもう一年分ほどもテレビを見てしまった。
このくらい良く見ていると、各局のニュースキャスターや大学の先生たちの人柄や人格まで見透けてきてしまう。単に惨状の激しさに驚く声の調子と、人を痛む思いから発せられる声の調子はおのずと違う。原発の危機を単に恐れる報道と国難を憂う報道はまるで違う。
東電の会見のピントのずれは甚だしいが、それも様々な事情を考えれば致し方ない部分もあるか・・・それにしても・・・だ、この計画停電(無計画停電)は策がなさすぎではないか?
70%でも50%でも、節電目標の共有では切り抜けられないものなのだろうか?
そもそもこの狭い国で西と東、60Hzと50Hzが互換できないというのが情けない。明治政府が購入した機器が片やイギリス製一方はどこだったか違ったからだというからこれも情けない。
情けないが頑張ろう。
そういえば枝野選手も頑張っている。(枝野少しは寝ろ!と思いやりのツイートが盛り上がったらしい)
蛇足になるが、前原選手、決断が一日早かったか?
自転車が売り切れた夜。
最初のグラリの時は、MTG中で、いつものことかと思った。
グラグラが続いて、やがてガタガタになっても、一度目が収まったらまた仕事の話を続けた。
2度目が来て、周りの物が落ちだしたりした時、ちょっと腰を浮かせた。
3度目の時には、さすがに相手と顔を見合わせて、MTGテーブルの下にちょっと潜ってみたところで収まった。
早速、NetとワンセグでNewsを見た。
「津波の危険」と出ていたのだが、東北地方の海岸で、「10センチ~30センチ潮位が変化しています」といった報道を見て、逆に安心してしまって、MTGの相手とも、そのまま次を約束して別れた。
その夜だ。JR全線不通。新橋に帰宅難民が集まりだした。渋谷でも・・・と言った、Newsを見ながら、まずは腹ごしらえと、なじみの小料理屋のカウンターへ向かう道すがら、246はまるで花火大会が終わった時のような人の波で驚いた。そうか、みんな歩いて帰るんだ・・・。
お店のカウンターでは、次々に入るNewsをラジオで聞きながら、またある客のワンセグを覗き込みながら、ちょっとした合宿気分でにぎわった。
あとから入ってくる客が「コンビニ、おにぎり売り切れでしたよ!」と言うのを聞いて、まあそうかな~と。
次の客が「びっくりしました!青山の自転車屋でレジに行列、自転車売り切れそうです!!」と言うのを聞いて、一同の間に大笑いが起こったら、別の客が「実は、僕の自転車なくなっちゃったんですが、あのおんぼろで誰かが一人帰れるんならいいです」と。
菅政権!これで生き延びるかもね・・・と言った、不謹慎な話題も飛び交った。
・・・・その後は、僕も皆さんと同じ体験をすることになった。
次々に寄せられるNewsで、徐々に今回の出来事の全貌が見えてきたからだ。信じられないような惨状の数々。刻々と増え続けて想像を絶する死者不明者の数。
そして最後のとどめ・・・・昨夜遅くの、東電の輪番停電宣言で、僕はやっと現実を悟った。
正直、それまではまだ実感がわいていなかったように思うが、痛みが我がことになって初めて気づいた。要らない電気をいくつか消してみながら、明日からのことを考えてみたが、やはりまだ定かには想像がつかない。
これは、まさに日本が直面している未曽有の危機なのだ。
世界中からがんばれニッポンのエールが寄せられている。
帰宅難民が去った後には、ごみ一つ落ちていなかったと中国メディアが絶賛しているという。給水車に並ぶ列も整然としていて、誰一人取り乱していないと。
がんばらなくては・・・。
これを機に、日本が一つになってがんばらなくては。
日本製粉のユニセフ支援活動/cince1996
調べていたら、日粉:日本製粉のユニセフ支援活動に行き当たった。
寄付の使用用途を特定せずに、ユニセフに寄付するタイプの募金だ。
役員や社員による寄付、ワンクリック募金、その他の活動を合わせて、スターと以来の合計で約4400万円に上ると言う。
大変地味な活動だが、継続性に意義があると思う。
コツコツこつこつ、そう、ちりも積もれば山となる。
さてこの、1クリック募金・・・・最近では、参加する人も増えていると聞くが・・・。
これからの展開はどうなって行くだろうか?
ニップンのように、何らかの課と動を地道に続けながら、知ってくれる人を増やし、寄付を増やして行くにはそれなりに有意義な仕組みと思える。
ただ現状では、そうではなく、この仕組みだけを「割安なクリック保証広告」として使っている向きも少なくない。
ロイターの日本人カメラマン、村本さんのカメラ。
タイ、バンコクの騒乱を取材中に命を落とした、ロイターのカメラマン村本さんのカメラに残されていた写真が、ロイターから公開されている。合わせて、当時を取材した映像もある。
世界中に危険な地域は山ほどある。報道カメラマンはその中に身を置いてこその仕事とはいえ、本当に命を落とすことは稀だろう。村本さんの職人魂に敬意を表しつつ、記録の画像を見た。
タイという国は、何年に一度かクーデターを繰り返しながら、国王の人気の元、いつも何らかの収まりを見せて、アジアの国々の中でも一定以上の民主化と成長を遂げて来た国だ。観光客も多い。
そのタイで、あのバンコクで、数十人の命が失われ、数百人が負傷する政治紛争が続いていて、今も収まる兆しが無い。どちらが正しいのかでは無い問題だと感じる。
TAP PROJECT 2010が始まっている。
TAPとは、水道などの蛇口の意味。2007年にNYでスタートしたこの運動。昨年H堂有志のメンバーが日本に持ち帰って立ち上げ、今年はさらに陣容が整った。
そもそもNYでの立ち上げメンバーにも広告関係の方が多かったと聞くが、日本での展開には、H堂の有志メンバーの善意のネットワークが強いらしく、プロジェクトのWeb Siteもとても素敵に作られていて引き込まれる。→TAP2010(いきなり音が出ます)
僕らが、ネピア千のトイレプロジェクトなどでご一緒しているユニセフが後押ししている。寄付は、マダガスカルの水と衛生のプロジェクトに提供されているようだ。
日本での立ち上げの時からお話しは聞いていたけれど、予感の通り今年は一回り大きな動きになった。NYでの活動もどんどん広がっているようで、先回のカンヌ広告祭でも、TAP系のキャンペーンが受賞した。
海外の事例では、自動販売機で汚れた水のペットボトルを販売し「この水は飲めませんが、あなたの1$?はきれいな水のために寄付されました・・・」と言ったような、ちょっと激しいアピールに富んだ企画だ(日本では、どうしてもこう言うWitのきつい企画は受け止められづらいけれど・・・)、サイトで探してご紹介しようと思ったけれど、ちょっと見つからず、あしからず次の機会に。
きれいな水がいつでも飲める環境の人たちが善意の寄付をして、汚れた水しか飲めない環境の国々の、水と衛生を支援んしようと言う運動。プロジェクトに参加しているレストランで、ただて供される「水」に感謝して、個人が100円程度の寄付をしよう!と言う仕組みだ。わかりやすいし、すがすがしい。
日本ではまだまだ、個人が、日常の中で何気なく寄付をするという文化が育ちきっていない。一部の富裕な人たちの大口の寄付とはべつに、一般の市民たちが、いつもの暮らしの折々に、さりげなく・何気なく・・・無理の無い寄付をする習慣は素敵だ。
ただ、それには受け皿がいる。そうした受け皿づくりは、個人だけでは難しい。
企業が率先して行う、コーズ系のマーケティングも近年は急速に増えてきた。だがその場合は、消費者に代わって企業が寄付をする仕組みが大半で、個人のお財布は直接は開かれない。企業が行う場合は、なかなか、個人に直接の寄付を呼びかけ伝い面もある。
昨今ハヤリの?ワンクリック募金にしても、実際に寄付をするのは広告主な訳で・・・個人が、気持ちよく・意義深い寄付ができる受け皿は、もっともっと育ってもいいのじゃないかと思う。TV局のマラソン番組に任せておく方は無い。
ユニクロの勢いが止まらない。
ついに、Brandとしての人気でもTOPを窺うところまで来たUNICLO。
流通側の台頭で、売り場確保=消費者接点の最初の部分で苦しむ「メーカー業」が多い中で、「製造・販売」一体の、ユニクロ型の業態は、自社の創出した価値で、直接消費者と接することが可能と言う”強み”が、圧倒的に違う。
つまり、ゆがめられないコミュニケーションで、消費者との直接的な関係を維持構築できるわけだ。
信念を持って、それを貫き通すことができる。(もちろん努力の連続がベースにあるが)
実際に、ユニクロに買い物に行ってみる。
スタッフの人(=社員)に何かたずねたり、サイズ違いの在庫を探してもらったりした時に、社員の接客態度のよさで、改めてユニクロファンになった人も多いのではないだろうか?
社員が生き生きとしている。誇りを持って仕事を楽しんでいる。
全ては、カリスマ経営者が、社内外に発信している”メッセージ”の力だろう。
それが今や、止まらないBrandの勢いに昇華しつつある。
人は、共感と、実感で動く。
そのUNICLO・柳井さんを、一昔(ふた昔?)前の、SEIBUグループ・堤清二さんと比較した、面白いBlogエントリーを僕の友人・初谷さんがあげていた。
旧友の訃報に接して。
先週土曜日の朝、いきなり故郷札幌の友人からの電話で、親しい旧友の急死を聞いた。
取るものもとりあえず・・・と言う感じで、飛行機の空き状況だけを確認して空港へ。遺族と会う。
聞けばなんと!!!
会社の従業員十数名を連れて、札幌市近郊の温泉地、定山渓での新年会の夜遅く、夜食を食べた後に、一人風呂に行ったのだという。
その風呂の中で心臓発作を起こし、一人倒れて、そのまま息を引き取ってしまい、深夜に、別な入浴客が発見してフロントに通報。ホテル側は時間も時間で、館内放送を掛ける訳にもいかず、警察に通報。
「身元不明の事故死」として、病院で検死、そのまま札幌南署に運ばれてしまった。
その間、同行していた奥さんも、会社の従業員も「社長の事故」には気づかず、朝起きだして始めて事故を知る。
ご存知の方も多いかもしれないが、北海道の昔ながらの温泉ホテルの温泉は、遊園地のように広い。
我が友は、その広い広い温泉の、ジャグジーの底に、目を開けたまま、水も飲まずに、沈んでいる姿で発見された。死に顔は、笑っているように穏やかだった。
60歳。小さな印刷業を営む友の人生は波乱に富んでいて、つい十年前に一度、人生最悪の時を迎えた。その前にやっていた会社が倒産。さまざまなことがあって家族との別離。自己破産の道は選ばず、借金の山が残った。僕らから見ても、彼の人生は終わってしまったかに見えた。
そこから、僕も知る新しい伴侶ができ、筆舌に尽くせないような奮闘、奇跡の再起の努力を続け、ようやく昨年古い借財を清算。得意先からの信用も積み重なり、年末には、銀行からの融資も受けられるようになって、今年は飛躍を期した年で、従業員への慰労と今年の頑張りを期しての新年会のイベントだったと言う。
よりによってそんなときに???
あの笑顔は、そんな安堵の中での幸せをかみ締めているようにも見えたが、残された新しい奥さんは、まだ現実が受け止められずに居るようにも見えたが・・・・やはり、バカヤロー!!!である。
別な人の葬儀で、カソリックの神父さんが言っていた事を思い出した。
神様のご判断は、我々には解せないことも多い。こんな方にこの仕打ちは・・・神様のお間違いなのではないかと思うことも多い。だが本当は、私たちがこの世で見ているものは、美しい西陣織りの帯の裏側のようなもの。糸が絡み合って全く美しくは無い。だがその裏側(=本当の表側)には、美しい模様が織りなされているのですよ・・・と。
ううん、うまいことを言う。
でも、その時もそうだったが、今回も、こんな説明では納得できない怒りを覚えた。
が、死は人の人生に「完成」の印を押してくれるものではある。我が友の人生は、1月30日に波乱の筋書きを完成させてしまった。
会社は、奥さんが・・・「頑張る」「頑張る」「いやもう頑張れない」「いやきっと頑張る」と、何度もくりかえした。
情熱大陸で、医師・吉岡秀人さんの活動を見た。
ミャンマーで無償医療に携わる日本人小児外科医、吉岡秀人さんを、情熱大陸が取り上げていた。これが何度目かの放送だと言うが、僕ははじめてみた。
心打たれた。
小児外科医と言うから、無医村で子どもの風邪くらいの治療かな?と思いきや・・・いやなんと何と!日本でも途方にくれてしまいそうな難病の患者が次々に訪れる。
それを、全身麻酔も使えず、CTスキャンも無く、施術中に頻繁に停電の起こる粗末な診療所で、手際よく大手術を施して行く。30分の番組中、僕は全くTVから目が離せなかった。
初めてミャンマーに行ったのが1995年、29歳のときと言う。
「自分が求められている」と感じたと言う、吉岡さんは、爾来十数年。彼の地に診療所を開設し、ボランティアの看護師などとともに、ほとんど無償で医療に携わっている。生活費なども持ち出しだと言う。まさに、ミャンマーの赤ひげ先生だ。
何があなたにそうさせるのか?と言う問いに、ここにいて、こうしていることが、自分の存在を最も確認できるからと。
人の生き方は・・・いろいろある。
チャリティーショップって・・・いいですね。
以前に、企業などのSCRのひとつの形として「チャリティーバザール」などは考えたことがあったのだけれど、常設のSHOPまでは思いつかなかった。
たまたま、別なことで探していたらひとつのブログに出会って「チャリティーショップ」と言う業態を知った。
善意の人が無償で持ち込んだ商品。キッチンやテーブル周りから、衣料やアンティーク、家電までを、(びっくりするほど)安く売る。運営の経費だけを差し引いて、収益を寄付に回す。お手伝いのボランティアなども盛んのようだ。
これっていいじゃん!!!
ヨーロッパ、特にロンドンには多いらしく、しっかりしたチェーンも存在するという。例によって不勉強が売り物の僕は、ちょっと目からウロコだ。どうして日本には無いのだろう?・・・文化の熟成殿違いかな?
不況とは言え、豊かなモノが有り余っている日本。狭い居住空間で、ちょっとでも扶養のものは処分する人も多いだろう。それが、破格の安値で、それを必要としてくれる人の手に渡って、品物が生き、しかも寄付が実現する。素晴らしいサイクルだと思う。
これをヒントに、何か少し考えてみたくなった。
え?そんなの古いよって?
確かに、ずっと以前から、知ってる人はもうとっくにみんな知ってるのかも知れない。ステキな町の片隅に、しっかりした日本版のチャリティーショップが、きちんと根付いているのかもしれない。
でも、少なくとも僕は知らなかったし、まだ見ていない。多くの日本の人々もまだ知らない。
でも・・・・善意の、仕入れゼロの品物に、値段をつけるのは誰なんだろう?どんな基準でつけるのだろう?粗大ごみを捨てるのにもお金のかかる世の中だ、廃棄処分場代わりにされてしまっては困るだろう。売れそうにも無い品物を持ち込んできた善意の人にはどう応えるのだろう。これはちょっと売れませんと断ってしまっても許されるのだろうか? 家電などの仕様説明や、保証や、事故はどうするんだろう?善意の運営の最低限の経費は、どこに基準を置くのだろう。儲けてしまっては罪悪だし損し続けては続かないし・・・・
・・・これって、運営にはよほどの意思とノウハウが要りそうな気もする。
ロンドン(実は、行ったことがない)に、言ってみたくなった。


最近のコメント
tsujii on NewsZERO「ありのままの公立中学」企画に、ちょっと拍手。: とねさん!ご覧になっ
とね on NewsZERO「ありのままの公立中学」企画に、ちょっと拍手。: 辻井さん 大変遅く
tsujii on バンクーバー五輪が終わる。: 浜の智さん!お久しぶ
tsujii on GREEDなCSRのこの頃。: 初谷さん!お返事遅れ
tsujii on バンクーバー五輪が終わる。: SAEKIさん!オリ
初谷zosojh on GREEDなCSRのこの頃。: こんにちは。僕も今日
浜の智 on バンクーバー五輪が終わる。: やー、オリンピックも
SAEKI on バンクーバー五輪が終わる。: 失礼します。 そ〜で
tsujii on NewsZERO「ありのままの公立中学」企画に、ちょっと拍手。: とねさん!そうですか