人生に思うことの最近のブログ記事
こんな春にも桜は咲いて。
今年の桜は少し複雑な気分で、立ち止まらずに眺めただけで過ごしてしまった。花見自粛論の是非を言うつもりも毛頭ないが、仮に奨励されたところで、浮かれてどじょう掬いや腹踊りはさすがに踊れまい。
この花が北上して、やがて福島へ宮城へ岩手へと上って行き、家と家族と日常を失った人たちの上に、美しく咲きこぼれるのだろう。その花を見て、かの人たちは何を思うのだろうと考えると・・・もう言葉が続かない。
古来桜の季節は人を狂わせるという。あまりの美しさに、人に潜む狂気が湧いて起こるのだという。
古来桜の季節は人を感傷的にさせるという。あまりの切なさに、人が忘れていたはかなさや無常を思いこさせるのだという。
僕は決まってこの季節、うろ覚えの歌のいくつかを思い出す。
年年歳歳花相似 歳歳年年人不同・・・とか、願わくば花のもとにて春死なん・・・とか、そんなありきたりの歌ばかりで、それらは半世紀近くも昔の学生時代の記憶の残骸なのだけれど、やはり桜の季節に思い出す歌は、僕の人生観や死生観にまっすぐにつながるコアなものだ。
「人はあまりにも小さく、自然はあまりにも大きく、そして時間はあまりも短く、かつ長い」以上。・・・つまりこれが馬齢六十年の僕の諦観で、実はそれは、僕十五歳の気づきから一切進化していない。人間なんてラララ~所詮そんなもんさ!と思ったら、今回の災害で失われた命の多さに沈み込みそうになる気持ちが少し楽になってしまった。(失礼陳謝)
ここ数日、睡眠薬代わりに読んでいる新書があって(実は作家の思いが込められた小説を読める気分ではなくて)「人類700万年の歴史?」だったかな?・・・そんな昔(と言うのも変?)に、生まれて生きた”人類”がいて、しかも彼らをはじめとする多数の種は、たった数百万年の短い時間の中で?生まれれては消え、消えては生まれ全て絶滅して、只の一滴の血も我々には繋がっていなくって・・・やがて、ネアンデルタールが栄え滅び、アフリカのたった一組のアダムとイブが、70億のホモサピエンスの祖となって現在に至る。・・・は、今や中学生でも知っている事実だ。(・・・だったら、生物多様性の問題って何なのか?いや失言訂正/それとこれとは論じる角度が違う)
その同じアフリカで700万年後、カダフィーの銃弾に倒れる命もあれば(NATOの誤爆で死ぬ市民もいて)、699万8,000年前に、クレオパトラとアントニオが恋をして戦をした。
新書は実はもう一冊買ってあって、そっちは「宇宙は何でできているのか?」とかいうやつだ。(これさえ読めば、次のプレゼンの出来不出来など、もう簡単に超越してしまえることは明白だ)
ううん出口のない話だ。
やはり桜の季節は確かにちょっと?僕をおかしくしている(ごめんなさい)
今度生まれて来るとしたなら・・・。
”今度生まれて来るとしたなら~もう一度、女に生まれてきたい。だけど二度とへまはしない、貴方になんかつまづかないわ~~”は、あまりにも有名な千春の名曲”恋”の一節だけれど、このフレーズを挟んで、一体何組の男女が、さまざまな会話を交わしたことだろうか?と考えると、楽しくもあり、不思議でもあり、・・・・バカバカしくもある。
それにしても「今度生まれて来るとしたなら?」・・・あなたは、再び同姓に、それとも異性に?
何かの弾みに、この質問をされた時用に、僕はひとつの答えを用意していたものだ。
「もちろん女です。今度はぜひ女に生まれ変わって、”僕”を彼氏にして、上手に操って幸せになってみたい」と。
おだてられれば木に登るのが人間。分けても異性に誉められたいがために、体も張れば命もかけてしまうのが男。そこを上手に誉めて育てれば、僕なんぞはいくらでも頑張って、どんどん尽くすはずだから、こんな僕の本性を知っていて、僕を彼氏にすれば、いかようにも操って頑張らせられそう、と。
もっとも、この答え、あんまり受けたためしはなかったけれど・・・。ものの調べによると、ほとんど7割8割方の人は、同姓に戻ると答えるそうだから、人生とはそれなりの”やりがい”を、人に与えてくれるステージなのかも知れない。
正直、僕もやはり、もう一度男をやってみたいと言うのが本音だ。
もし時計の針が戻せるなら、あなたはいくつの自分に戻りたいか?これも、よくある質問だ。
あなたはいくつに戻りたい?
この質問にはいつも迷う。その時その時の自分の気分で変わってしまう。
真っ白なキャンパスが無限に広がる10代もいい。自分次第で自分のステージが選べる感じの20代30代もいい。判断さえ誤らなければ、もっともっと何とかなったはずの40代もいい。
でもな~、もう一度やり直せたからと言って、今以上にうまく行くという保証はけっしてない。
むしろ、たまたま運よくすり抜けてきた人生の罠にはまって、もっともっと難しい局面に立たされていた可能性も高い。
戻るなら、条件がある。今の知恵と経験を持って戻してくれるなら??
でも、それもつまらないだろうな~~。やっぱり、神様は上手に作ってくれている。
人生は一度きりだから、楽しいのだ・・・・と、あまりにも当たり前の答えになってしまった。
冒頭の千春の”恋”の一節。”貴方になんかつまづかないわ・・・・”は、つまりは裏返しで、自分の選んだ人生の肯定に繋がっている。この歌を挟んで、人生の共犯者と愛を確かめ合った二人がたくさんたくさんいるのだろう。
月日は百代の過客にして・・・。
「月日は百代の過客にして行きかふ年もまた旅人なり 馬の口とらえて老いをむかえる者は日々旅にして旅をすみかとす」・・・は、かの芭蕉、奥の細道の書き出しだったと記憶している。「余もいづれの年よりか、片雲の風に誘われて漂泊の想いやまず・・・」と続くその一節は、不思議と今でも諳んじていて、ふとした時に頭の中でくちずさんでいることもある。
16歳、穢れを知らぬ?少年だった僕は、高校の授業で何より好きな科目は古典と漢文だった。特に、七五調の文体が好きだった。読み下しの漢文調のそのリズムを美しいと感じた。気に入った漢詩も暗誦して嬉々としていた。(ちなみに、何より嫌いだったのは数学と物理、いつも赤点で、ついには先生の方に諦めていただいて何とか卒業した)
三つ子の魂百までと言うけれど、今でもやっぱり七五調の読み下し文体が好きで、唱歌の歌詞に惚れ惚れとしたりする。
あれ?今日のエントリーのテーマは何だったっけ?
ああ~、いいんだこれで。
年の瀬。
何となくこの一年を振り返る。つたなく、恥多い人生を振り返る。
そんな時僕は、決まって古典か漢文の世界に浸ってゆく。
無常観というのかな~、それが、僕の最後の逃げ場所かもしれない。
「人間なんてらら~ら らららら~ら・・・・」という、拓郎のあの歌が好きなのと同じ文脈だ。
1950年に生まれて、西暦が2000年になったときには何だかとっても不思議な気分だった。それが・・・明ければ早2010年だ。
僕が頑張ろうとくじけようと、嬉しかろうが悲しかろうが、月日は行く。
メリークリスマスの夜の雑感。
師走です。
なんだか久々に忙しい感じの年の瀬です。
気がつけば今日は24日、俗にクリスマスイブと言う特別な夜ですね。
雑事に終われる毎日ですが、さすがに今年も残すところ数日と思うと、60年に近い人生の越し方を思い浮かべたりもします。
X’masというと・・・なぜか真っ先に思い出すのは、子供のころに教会でもらったX’masカードです。雪の夜道にトナカイのソリが行くような素朴な絵柄が描かれ、銀粉が散りばめられていて、欧文でMery X'masとか書かれていて・・・昭和も30年代当時の貧しい少年にとっては、まるで別世界からやってきた星のかけらのように、まぶしい宝物でした。・・・そのカードは、誰にも出さずに大切にしまっておいたのですが・・・さて、何時なくしてしまったのでしょうか?
(今にして思えば、イエズス会などの宣教は、こんな効果を利用しながら未開の地に浸透して行ったのでしょうね)
その次には・・・昭和40年代の、植木仁のスーダラ節の延長のようなサラリーマンたちが、とんがり帽子をかぶって飲んだくれるクリスマスのイメージが来ます。サントリーの角やダルマが、課長の権力の証だった時代です。
やがて、ニューファミリーと呼ばれた僕ら団塊世代のファミリークリスマス。少しでも素敵なクリスマスケーキとサンタに成り代わってのプレゼントを家族に運ぶのが、当時のパパのミッションでした。
そして・・・1980年代。ホイチョイの見栄講座のころの、浮かれて気取ったクリスマス。小洒落れたシャンパンやワインの注文の仕方や、オシャレなスポットを知っているかいないかが、男の格好良さの尺度だったりしたものです。なぜか、星降る街角と言う曲が耳元に聞こえてきます。
90年代、2000年、そして今・・・やがて2010年ですね。
10代20代の若者からは、40以上はみんなオジサン!で、一緒に見えるように、アラカンの僕には90年以降は似たり寄ったりの世相に見えてしまいます。
でもさすがにここへ来て、世の中は大きく変わろうとしているかも知れませんね・・・。
来る年が、よい年でありますように。
次の十年が、素敵な時代でありますように・・・。
10月26日?
衆院解散は10月3日。総選挙は10月26日と各紙の報道が喧しいが・・・・はてどうなることやら。
補正予算を通さずに解散でいいのか?その補正予算の内容自体お寒いが・・・。思い出すのは前回の、小泉・郵政改革解散だが、この補正予算案くらいでは、そんなテーマにもなれまい。
果てさて、どんな選挙になるのやら。・・・本当に本当に想像がつかない。
細川政権が誕生した時は・・・確か日本株は上がったように記憶しているが、それもあんな終わり方をしてしまった。爾来、日本の政治は低迷続きだ。
民主小沢氏は、政権獲得に満々の自信?とは言うが、いまひとつ現実感が乏しい。かと言って、自民側にそれを圧倒する迫力があるかといえばこれも、全くない。
自民党の総裁で総理大臣になれなかったただ一人の人は河野洋平。麻生氏は、例え3週間でも、総理にはなれるからまあいいのかな?
いっそ一回、民主党政権になってしまえばいいのか?? その後の政界再編??イヤイヤなんとも想像がつかないのは僕だけか?
アメリカは75兆円の公的資金投入案を議会提出。100年に一度の危機を全力で乗り切るという。ブッシュ政権最後の大仕事だ。最もその種を撒き散らしたのも彼ら自身だから、とんだマッチポンプなのだけれど・・・。
アメリカもここへ来て、オバマなのかマケインなのかが読みきれない。ロシア不穏。中国に転換期。欧州もとばっちり。北朝鮮混沌。インドとブラジルがマイウェイか?いやそうも行かない。
アメリカが撒き散らしたサブプライムと言う細菌兵器は相当にたちが悪い。
世界の政治と経済が、何処へ向かうのかが、僕の小さなオツムでは全くと言っていいほど想像がつかない。こんな混迷は・・・やはり前代未聞の体験だ。
否応なく、世界大戦の混乱に巻き込まれていった1900年代の人たちもこんな気分で日々を送ったのだろうか?そしてその後に新しい秩序が生まれる。生まれたと思ったら行過ぎてまた混迷。混迷の後に秩序。
よどみに浮かぶうたかたは かつ消えかつ結びて ひさかたも留まりたるためしなし・・・か。
人は、賢いのか愚かなのか。 世の中は、平穏が基準なのか混乱が基準なのか・・・わからなくなってきてしまった。
私感だが、多分人間は愚かなのだと思う。 そして世の中は混乱が基本なのだ。
人はその中で、見たいものだけを見、聞きたい事だけを選んで聞いて、定められた時間を生きて消えて行く定めだ。
愚かなゆえに、懲りない希望と小さな満足とを持ち続ける権利もあるのだけれど。
世の中に、金と女は仇なり。
男性なら何とな~~~く、腑に落ちるこの言葉。
実は、温厚で実直で僕とは似ても似つかない、僕の親父の”遺言”だ。
その言葉を聞いたたのは僕が17歳の時。
当時オヤジと二人暮らしだった僕が、学業をおろそかにするほどの”初恋”にのめり込んでいた時に・・・ポロリと聞いた。きっとさぞかし、オヤジの目に余ったのだろう。
「えええ? 仇って?」と聞き返した僕に、「仇って言うのは、憎らしいだろう。 憎らしいから追いかけてしまうものなんだよな・・・金と女とは」と。
ががが~んと来た。
さらに続いた。「自分からそんなに追いかけなくても、自分が素敵になれば、向こうからやってくるのも金と女なんだそうだよ」と。 それ以上は何も言わなかった。
無口で優しく謹厳で勤勉で実直で努力屋の・・・仙人のようなオヤジだったが・・・早くに妻(僕の実母)を失い、後添えともあまり幸せではなく、金と女には生涯恵まれない男だった父親の、この言葉だけは40年忘れられない。
忠告に従って、全うに生きられたかどうかは???だが、心には刻まれている。
女が男の”仇”と言うのは17歳の時に、実によくわかった。”金も仇”だと知ったのは、もう少し後のことだ。
結局・・・オヤジは、”仇”に恵まれずに78年の生涯を送った。
「あんなにいい人なのに・・・きっと前世で、ソートー悪いことをしてきてたのかもね!」と、 葬式の時に仲良しのみんなでそんな話で盛り上がった。
にっこりと笑っているオヤジの写真を見ていたら、急に思い出してしまった。
今、己の立つところを掘れ。
「今、己の立つところを掘れ。必ずや、泉湧かん」・・・俺の大好きな言葉なんだよね・・・と。
今日は、旧知の仕事仲間、深沢さんに御徒町に呼び出され、美味しい肴と蕎麦をご馳走になった上に、心に残る言葉ももらった。
「今、己の立ちところを掘れ」・・・か、この「今」が、なかなか効いてるな~。、
思い出す学生時代。熱く”ことわざ”と”金言”の差を説いていた教師がいた。
ことわざは人生の教訓を、当意即妙に言い当てた言葉の技だ。だから、必ず「反対」の言葉もあると。”君子危うきに近寄らず”vs”虎穴に入らずんば虎児を得ず”。”二兎を追うもの一兎をも得ず”vs”一石二鳥”の類で、全くその通りだ。
対して”金言”は、人生の真理を説いた言葉だから、反対の金言はないと。
???”石の上にも三年”と”見切り千両”はことわざで対だが、ではこの”今、己の立つところを・・・”は、何なんだ?
分類すれば、ことわざではなく金言の部類だろう。・・・でも、客観的に見て、そうじゃない時もあり得るよな~~???と、
思うのが凡人の浅ましさ。やはりこの言葉は金言なのだ。
今、己の立つところを・・・・掘れないやつには、次も掘れないということか。
ああああ~、人生の残量メーターが点滅を始めている。
今、己の立つところか・・・・。
蒸し暑い夜に考える。
もう一度、やってみたいと思う。
僕が「アイベックス」を創業したのは1983年。不肖辻井、32歳の時だった。
右も左も分からなかった。分からないのをいいことに、無手勝流でやってみたら・・・何とかなってしまった。
途中何度も社員に詫びた。リーダーにビジョンが無いからこんなに停滞させてしまって誠にすまん!と。
本心だった。
僕には、(当初)企業創業の「志」が欠けていた。これがアイベックス25年の致命傷となる。
「志」の無いところにビジョンは無く、ビジョンの無いところにベクトルは生まれない。ただ唯一の求心力は、仕事に賭ける「職人的なプライド」だった。それだけはあった。あったから人が集まった。
この原体験が僕を作る・・・良きにつけ・悪しきにつけ。
爾来25年。僕は57歳になった。それなりに右や左が見えるようになった。それが問題だ。
原体験×それなりの見識=固陋・・・・これが、限界の構図だ。
VMLabの看板を揚げさせていただいて、やがて10ヶ月近くになる。ありがたいことに、いい仕事にも恵まれた。
残すところの「仕事適齢時間」はどのくらいだろう?
32歳から57歳までの25年はもう無い。いいところ5年?上手くいって10年?嫌われながら居座っても最大15年?
若いころ、時間は無限にあると信じていた。
ストレンジャーな釣り師。
空梅雨だろうか? 今日は降らないと知って、久々に釣りに出た。 鯛五目。 釣果は??だったが、一日、花曇りの陽の下にいて心地よかった。
釣りに限らず僕は船が好きだ。船からの眺めで一番好きなのは出港の時の艫からの眺めだ。スクリューがかき分ける白い波の向こうに、遠ざかる港を見ていると、何故かしら胸が高鳴る。
その時僕は”旅人”になる。
長年釣りをしていて気がついた。釣りは乗り合い船に限る。
金9000円也を払って見知らぬ人と席を隣り合わせると、僕はその瞬間、ストレンジャーになる。
竿を立てる。仕掛けを整え餌を付けて、ポイントに向かうまでの時間はゴルゴサーティーンの気分だ。・・・いざ釣り始めると、大きな挫折が待っているのが常だが、それでも沖上がりのぎりぎり最後の一分まで、僕は諦めずに釣る。
最後の5分で、その日一番の大物を手にした記憶があるからだろうか? いや、それだけじゃないような気がする。
「はい、仕掛けをあげてください。これで戻ります」という、船頭の声が聞こえるまで。僕は必死で釣り続けている。
人生もそれで行こう。諦めの悪いストレンジャーで行こう。
地球は丸い。人生の道のりも丸いが故に危険が潜む。
30代の頃から身をもって実感していたことだが・・・。人生の航路で接触する人は数多い。
顔すら思い出せない名刺の山もそうだが、人生の節々で、「この人だ!」と感じる時も幾度かある。
そんな中での実感は、”直線に見える曲線”の恐ろしさだ。
ちょっとだけ”変な人”のそばには、必ず”もうちょっと変な人”が居る。その人の周りには、また”もっと変な人”が居る。
当然だが、その逆の好循環サイクルも必ずある。ちょっといい人→もっといい人→すばらしい人、の好循環だ。
そうした接触の連続で交換される”価値基準”は、自分自身の価値基準を少しずつだが明らかに変えて行く。
自分は真っ直ぐに(直線を)歩んでいるつもりなのに、実は直線に見える曲線を歩んで居るわけで、気が付けば、当初の自分が志していた地点とは、全く違う所に踏み込んでいることがある。
朱に交われば赤くなり、赤くなればさらに紅になるの道理だ。
そうであるから、人生ではステージ選びが大切だ。
学生で言えば学校の気風。社会人で言えば会社の風土。家庭で言えばパートナーの人格。交わる相手が自分を作る。(自分が相手を作ることも勿論なのだが・・・)
自分が歩む道=直線に見える曲線が、上を向いているか下を向いているかで、数年後の自分が決まる。数年後の自分の位置が、次のゴールポイントの幅を徐々に規定して狭めてゆく。良くても悪くてもこの範囲と。
孟母三遷とはこのことかと思う。
突き詰めて言えば人生の航路に”直線”は有り得ない。全ての人が、緩やかな曲線の上を歩んでいる。それが、丸い地球と宇宙の原理だ。
直線と見まがう穏やかな曲線は、歩き方によっては90度の曲がりとなる(それ以上のときもある)。90度違いの上と下では180度違うことになる。
嗚呼!恐ろしい現実だ。
志を持って、ゴールを設定して生きることの大切さ(=曲線を直線に変える唯一の方法)が・・・今頃になってようやく分かってきた。
ちょっと遅かったかな? 間に合うかな? やっぱりギリギリアウト?
まあいいか! 人生の意義はゴールではなくプロセスにあるといってくれる人も居る。・・・頑張ろ・・・


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