平成生まれの20歳に思うこと。
今年成人式をむかえた20歳は1989年生まれ?
その1989年と言えば、ベルリンの壁崩壊と天安門事件と・・・蛇足ながら、ジュリアナ大全盛の年だ。
うううん・・・どう考えても、まったく持って・・・記憶に新しい気がしてしまう!と言う僕はやはりもう、生きる化石の類か?
時間の長短の感覚と言うのは実に不思議なもので、自分の記憶をたどると、ずいぶんと長い時間に感じる期間と、ほとんど瞬時に過ぎてしまった気がする期間とに分かれるように思う。
ある学者に言わせると、思い出して長く感じる時間と言うのは、自分が充実して楽しんでいられた期間。逆に、短く感じるのは、自分が充足していなかった期間なのだと言う。人の記憶とは都合よくできていて、楽しいことだけを記憶し、忘れてしまいたいことは本当に忘れてしまうようにできているのだとか・・・だからこそ、厚顔無恥に馬齢を重ねて平然としていられるのだそうだ。(神様の思いやり?)
ベルリンの壁崩壊、天安門事件、ジュリアナに代表されるバブルの活気、オハヤシ入りの連夜のカラオケ、やがて昭和天皇のご危篤、ご崩御・・・平成の新年号発表のあのころの記憶は妙に鮮明だ。そしてまもなくオームのサリン事件があったんだったっけ???
1990年前後と言うのは、僕の拙い人生の中ではそれなりに充実していた時間だったと言うことかもしれない。
IbexというPromotion会社を立ち上げて6~7年目、社員が40~50人くらいになり、ようやく会社の体をなしかけていたくらいの時代だ。見るもの、会う人、起きることの全てが新しく、初体験の連続を勢いでこなしていた。とにかく旅行が大好きで、数ヶ月に一度、1週間か10日の旅行に出かけることが目的で、その時間を作るために働くと言うようなリズムで、闇雲に仕事と格闘していたような気がする。
思い出をたどるとこれはもうきりがないが・・・人生のなかで、それなりの充実の時間というのが、はて?何時だったのかを定義するのは難しい作業かもしれない。何を基準に充実か否かを決めるのか?
僕は何だかこの考え方が腑に落ちる。つまり、思い出して長く感じる期間は自分が満たされていた時と。・・・はて?この後また何年も何年もたって思い出すとき、今は、長い時間に感じられるだろうか?忘れてしまいたい部類の時間だろうか・・・いや、覚えていたくてもアルツに遭遇している可能性のほうが高いのだけれども(笑)
そうか~、あんたが大将!みたいに誉められたがりで、思い出話大好きのオジサマと言うのは、やっぱり充実した人生を送られた偉人だと言うことか~~~。
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