月日は百代の過客にして・・・。
「月日は百代の過客にして行きかふ年もまた旅人なり 馬の口とらえて老いをむかえる者は日々旅にして旅をすみかとす」・・・は、かの芭蕉、奥の細道の書き出しだったと記憶している。「余もいづれの年よりか、片雲の風に誘われて漂泊の想いやまず・・・」と続くその一節は、不思議と今でも諳んじていて、ふとした時に頭の中でくちずさんでいることもある。
16歳、穢れを知らぬ?少年だった僕は、高校の授業で何より好きな科目は古典と漢文だった。特に、七五調の文体が好きだった。読み下しの漢文調のそのリズムを美しいと感じた。気に入った漢詩も暗誦して嬉々としていた。(ちなみに、何より嫌いだったのは数学と物理、いつも赤点で、ついには先生の方に諦めていただいて何とか卒業した)
三つ子の魂百までと言うけれど、今でもやっぱり七五調の読み下し文体が好きで、唱歌の歌詞に惚れ惚れとしたりする。
あれ?今日のエントリーのテーマは何だったっけ?
ああ~、いいんだこれで。
年の瀬。
何となくこの一年を振り返る。つたなく、恥多い人生を振り返る。
そんな時僕は、決まって古典か漢文の世界に浸ってゆく。
無常観というのかな~、それが、僕の最後の逃げ場所かもしれない。
「人間なんてらら~ら らららら~ら・・・・」という、拓郎のあの歌が好きなのと同じ文脈だ。
1950年に生まれて、西暦が2000年になったときには何だかとっても不思議な気分だった。それが・・・明ければ早2010年だ。
僕が頑張ろうとくじけようと、嬉しかろうが悲しかろうが、月日は行く。
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