カッパがいるか?みそ汁がつかないか?
沼と池の違いは・・・・カッパがいるかいないかだ、と教えてくれたのはDocomo。
ううう~~む、なぜか妙に納得が行く説明だった。
実際このCMの世界感には共感もしていた・・・のは僕だけか?・・・もっとも、それが何故Docomoの家族割り?の宣伝なのかを、論理的に理解するのはソートーに難しいのだけれど、言って見れば、まあそこが(共感と話題性という)CMの世界の不思議なところか。
今度は、490円ではみそ汁がつかない同士の、弁当とSoft Bankの家族割りに付いて考えることになった。
これもソートーに高度な哲学的、思索的アプローチで、妙に納得が行かないところが狙いな訳だ。
こりゃ~これからのケイタイの世界は、よほどIQが高くないと着いていけないのかも知れない。
もともとあの家族構成を理解するのが2回転半くらいに難しかったのだけれど、そこは、圧倒的な露出頻度で、日本人なら知らない人はいない有名家族になってしまっているのだから、もう今さら何をかいわんやだ。
先日、天才バカボンのCMで感じたこととは、また全く違う角度から、今日も(テレビの)CMに付いて考えてしまった。
理屈で失礼すると、これがいわゆる「情報過負荷時代」のTVによる広告の一つの選択(≒結論)な訳だ。
アピールポイントが増えすぎて、かつ、競合差別性が薄れて、もう、正攻法での説明のしようが無いから、「奇手」×「リーチ」を持って注目と記憶化を狙う。 好意は・・・人それぞれ(&ターゲットのセンス)だ。
このクリエイティブに、代理店がしのぎを削る。 優秀なクリエイターが心血を注ぎあう。 莫大な広告費が費やされ、それは消費者が払う。
時勢に合わせて漂い流れ、CMは一定の(相対的)成果を、上げたり上げなかったりして、また次の工夫を生む。
時代に迎合しているそのCMが、とは言え一面では、大量の情報量で”文化”を創る側でもある・・・・。
結論は無いのだが・・・ちょっと考え込んでもしまう。
今、Suntory南アルプスの天然水のCMが流れた。大滝秀治さんの声が僕の腹に届いた。
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