2009年4月アーカイブ

ユニクロのエネルギー。

GW前半の休日に原宿・渋谷と銀座の歩行者天国をぶらついてみた。

原宿、明治通り沿いの旧ユニクロが、UTというTシャツ系の専門店に衣替えしたのは知っていたけれど、足を踏み入れたのは初めてだったのだが、先ずここで、”何か”を感じた。

何を感じたのかは一言で言えないままに、さらに足を伸ばして裏通りから渋谷方面へ、パタゴニアの周辺、いわゆる”裏原”のファッションが”シブヤ”に繋がって行く一帯・・・。そこにはまた一つのカルチャーがあった。

その日は、明治通り沿いのH&Mの並びにFOREVER21がオープンした日で、そこには長蛇の列だった。

一転、銀座へ。歩行者天国の中央通、松坂屋の向かい側のユニクロへ。

人人人人人・・・・まさに老若男女が押すな押すなの大賑わいだ。レジ前には、カゴ一杯に収穫物を詰め込んだ人の列だ。目的来店、目的消費。まさにコンビニやスーパーで、今必要なものを買う消費行動と全く同じリズムで、ファッション(と言うべきか、衣料品と言うべきか・・・)の消費がなされている。

Men’sのワイシャツが990円~3000円。ジャケットでも3000円台からだ。僕がまだ若いサラリーマンで、当時の月給が10万円だった頃でも、ワイシャツは5000円近かったし、ジャケットやスーツは当然ながら何万円もした。

これは、中内さんがやった価格破壊ではない。むしろ新しい消費文化の創造といえる快挙だ。

ユニクロはもはや、日本人の日々の生活に完全に取り込まれている。スーパーやコンビニや100均と全く同じに。或いはそれ以上に。

柳井さんの鼻息荒い会見、ユニクロのステートメント発言と上方修正の発表を思い出した。そして上海のH&Mとユニクロの店舗を思い出した。

ものすごいエネルギーの充満するユニクロの店を出て、よく晴れた中央通りで深呼吸。

見渡せば、歩行者天国を行き来する人々の何人かに何人かが、三越や松屋の袋ではなく、ユニクロとH&MとZARAの袋を持って、楽しげに歩いていた。

もちろん、カルティエやヴィトンの袋も多いのだけれど・・・・ユニクロとH&M.千円台のファッションは日本人の暮らしを変えつつある・・・と、実感した。

 

日本記録ラッシュ/競泳

北島康介がアメリカに旅立った後の日本水泳界で、記録ラッシュが続いた。

水着の改良の成果に負うところが大きいとも言うが・・・頼もしい限りだ。

そういえば、前回の北京五輪前。競泳界はスピード社の魔法の水着で騒然とした。

悶着の後、スピード者の水着が解禁となって、北島の北京での金メダル・・・「もう何も言えない」と語った記者会見の記憶は新しい。

傍目に見ていて、日本の競技界の中で水泳界の雰囲気はなぜかとっても良さそうに感じる。生き生きとしていて躍動感さえ伝わってくる。

詳しい事情を知って書いているのではないが、今回ヘッドコーチに就任している平井さんも、実に好感が持てる。

そうだ!日本の水着メーカーも、前回は塗炭の苦しみを味わったことだろうが、開発競争に終わりは無い。

もともとどの競技でも、ルールの中で工夫と努力を重ねて、世界に追いついては、ルールごとの改変にあって辛い思いをさせられてきた日本だ。ジャンプの板、バレーのラリーポイント、柔道着の素材、Etc.と、数え上げればきりが無い。

今度は日本の水着改良のチカラで、世界の水泳界勢力図を塗り替えるくらいのことをやって見せてくれ!

ローマの世界水泳が楽しみだ。

北島康介の現役続行宣言と渡米の判断にも大拍手!!彼には、ロンドンのひのき舞台が待っている。

ちょびエコ・・・はじめに言葉ありき。

昨年の秋から取り組んできた”ちょびエコ”のプロジェクトが、もう一息でローンチになる。(先日も、ちょびっと書いた)

はじめに言葉ありき。 で、このコピーの生みの親は、D社の良心?のような、コピーライター並河氏。会心の作だと確信している。

氏がこのコピーを思いつくもととなるコンセプトの部分を、ぐちゃぐちゃのメモとダラダラの話で説明したのは僕だから、僕も多少は貢献した?と、自負している(エッヘン!)のだが・・・???

さてこの、ちょびエコの”ちょび”は・・・そのまんま・・・ちょびひげとか、ちょびっととかの”ちょび”だ。背伸びしない自然さと、何よりもカワイイと感じ取れる語感から、スタッフ全員一致で支持された。

では、ちょびエコの”エコ”は何?

と言うと・・・まあ、正しくは”エコロジー”なのだけれど・・・僕としては、これはもう、Ecologyと言う語源を卒業して、日本語として根付いた”エコ”と言う、二文字のカタカナだと思っている。

では、エコロジー:Ecologyとは?と改めて聞くと、意外と正確な答えを知っている人は少ない。正解は「生態学」なのだが・・・ もっとも、19世紀くらいに、ドイツの科学者によって造語された言葉だそうなので、そんなに深くは無いようだ。→Yahoo百科事典(あまり上手な説明ではないようにも感じるけれど・・・)。

実は、プロジェクトの過程で、このエコ(≒Eco≒Ecology)という、ネーミングが妥当か?と言う部分での検討があった。

プロジェクト自体が、正面切ってEcologyを論じる姿勢とは一線を画したかったからだ。

僕は、このカタカナの”エコ”は、現在を生きる日本人の感覚の中にある”エコ”であって、いまや既に語源であるEcologyとは袂を分かって、新しい(固有の)世界を持っていると考えて、この案に傾倒した。

下町の奥さんが「あなたちょびエコよ~!」と言い、渋谷のギャルやヤンママ辺りが「それってちょびエコじゃん?」と語り、レゲエのお兄さんが「オレちょびエコっす」・・・とかとか、言ってくれる感じが夢だ。

言葉は生きている。 いや、言葉が先にあって、それが人を動かし、意識を創り、命(エネルギーや胎動?)を生み出すと言うほうが正しいかも知れないと、僕は考えている。・・・はじめに言葉ありき。は、無宗教だけれど無神論者では無いかもしれない僕が、聖書の中で一番好きな言葉だ。

ロハスは主義でありスタイルだ。 エコファーストは心得であり方向だ。 CSRは使命や務め? エシカルは思想や姿勢かな?

ちょびエコは・・・もともっともっと、自然なくらしの意識に根付きたい。

マーケティングとは・・・「新たな価値の創造」だ。 だとすれば、言葉のチカラで、新しい価値観の領域を創出(=意識化)して行くことは、マーケティングの仕事の中でも、最も創造性に富んだ領域だ。

全くの蛇足だけれど・・・PCで「マーケティング」と入力し損なうと、時々、「マーケ天狗」と出てしまう時がありませんか?!おっちょこちょいの僕はそれがしばしばで・・・そのたびに独り赤面、失笑して、慌てて入力しなおしています。今度は一度、このネタで書いてみようかな?(笑)。

NHKがいい。

ここへ来て、NHKのコンテンツが・・・「いい!」と感じる。

昨日は漫然と眺めていたNHKの番組に引き込まれ、結局深夜まで付き合ってしまった。

最初に見たのは、エーゲ海をテーマにした番組「世界遺産への招待状」だった。掘り下げ方の角度が、いかにも(いい意味)NHKで、しっかり味合えた。

続いて始まったのが「プロフェッショナル/仕事の流儀」。

昨夜は再放送で、アメリカ帰りの天才血管外科医、大木隆生氏の仕事振りを追っていた。カテーテルを手品のように操り、大動脈瘤の患部に人工血管を埋め込む、まさに神業のオペの様子を、カメラも返り血を浴びただろうと言うほどの肉薄振りで撮っている。

驚いたのは、実際の患者家族がリスクを覚悟で氏に手術を依頼するまでと、その手術の経緯~結果の記録だ。

80歳代の老婆と家族の依頼で、極めてリスクの高い手術が始まる。9時間がかりの難手術に見事成功する! ああ~良かった(いい番組だった)と、内心ほっとしたのは束の間、一転カメラは緊張し、合併症からの心停止。緊急の対応がさらに朝まで続く様子を追った後、ナレーションは結局患者の死を告げる。

この手の番組で、こうした構成に出合ったのは初めてで、一瞬固まってしまった。

「ありがとうと言う言葉が聞きたくて」・・・と、まさに寝る間を惜しんで年間800件の手術に挑むと言う大木医師の、使命感と、志と、葛藤の重さが伝わってきた。

死んだ老婆の家族が、後日、執刀の御礼に来てくれた。 一時、気落ちしていたかに見えた大木医師は、また次の患者からの、難しい手術の依頼を引き受けた。「最後の望みが僕しかないとわかる時、リスクは高くても僕は引き受ける」と、現代のブラックジャックと形容するのが軽すぎると感じるほどの、気迫が伝わって来る気がした。

僕の記憶が確かなら、この・・・「プロフェッショナル」のシリーズは、人気を博した「プロジェクト」の後継番組(の一つ)であるはずだ。GOGO JAPAN!と言う感じで、一世を風靡したプロジェクト・・・中島みゆきのテーマソングも良くて好きな番組だったけれど、日本の成長期から現在に至るビジネスの現場に近すぎたが故に、結果的には企業PRに多大な効果をもたらす構造となり、裏で莫大な金額が動いたとも動かなかったとも聴こえてくる。

さまざまな不祥事や、視聴料不払い問題などの時期の後、企業から離れ、個人にスポットを当てたこのシリーズが始まっている。実際には僕は未だほとんど見ていないのだが、HPなどで見ると、社会にテーマを置いたものが多いようだ。

NHKは今期も大きく番組構成を改編している。・・・いい方向に舵が切られているように感じる。

思い起こせば、僕をシルクロードの大ファンにしてくれたのもNHKだった。喜多郎のあの曲は今も時々聴く。

上海モーターショーの加熱度。

本拠地のアメリカでも、日本でも、凋落著しいモーターショーだが上海だけは違うようだ。

税制優遇処置も手伝って、販売台数でついにアメリカを抜いて、まさに世界一の自動車市場になった中国。月間110万台の巨大市場はやはり魅力的なのだろう。

北京オリンピック後の農民工の一斉帰省報道、チャイナバブルのあっけない崩壊は・・・またまたマスコミの悪はしゃぎ?それらは単に一時の調整で、21世紀はやはり中国の世紀になるのか?

上海株は今年に入って30%の上昇。2010年の上海万博を控えて不動産市場も活況。今後の内需拡大策にも、世界の期待が寄せられる・・・・と、今日のTVはもう、中国の勢いに世界がひれ伏していると言わんばかりだ。

全国平均でも10%近く。上海のみで言えば十数%になると言う、この巨大市場の膨張はやはりすごい。

すごいのだがこの市場(僕も、仕事がらみでちょびっと生噛りしたのだけれど・・・)で、勝つのは実に難しい。その訳は簡単。成長率10%の市場に、参入してくる新プレーヤーがそれを遥かに上回るので、競争の熾烈さは凄まじいからだ。

どこが勝ち抜くのか、どこが負けるのか・・・・おや? ほら、また、この理論に立ち返ってしまいそうになる。

そうじゃいけないんだ、志のある事業とは、シェア競争の戦争ではないのだと、我々は痛みとともに思い知ったのではなかったろうか?

ふと、先日読んだTATA自動車の2000$カーの話を思い出した。TATAは、それこそ日の出の勢いでジャガーまで買収した新興勢力・・・・だった。だったのだが・・・ご多分にもれず今回の世界恐慌の中で、今は一転赤字にあえいでいる。

そのあえぎの中で、ギリギリの体力を振り絞って、今のインドに必要な2000$のクルマ(と言う、新しい価値)を生み出そうと前人未到の挑戦に踏み出した。

この4月からの予約受注好調の報道の反面、経済ウォッチャーの多くは、この事業の成功に懐疑的だとも報道されている。常識を破った低価格実現の為の、薄利体制が経営に与える付加は、相当に大きいだろうとの観測からだ。

インドに行ったことのある人は目にしたことがあるだろう。一台のオートバイに、家族4人紀5人乗りの光景を。TATAの会長は、バイクの値段で買える国民の乗用車を思いついて実現に挑んだ。

・・・・・TATAにこそ頑張って欲しい。 志のある事業のサスティナビリティーを実証して欲しい。 傲慢から一転改心して、今度は中国市場で、エコカーで頑張る!と言うGMなどよりも・・・インドのTATAに。

http://indonews.jp/2009/04/49-10.html

エシカルに考えるマーケティング。

王子ネピアの仕事をお手伝いさせていただいて、もうずいぶんになる。

最近では、2008年にスタートした「ネピア千のトイレ」のプロジェクト。これが2年目の2009年の活動に入り、また、東ティモールに渡航する準備などに忙しい中なのだけれど、それとは別にもう一つ、「ちょびエコ」と言うプロジェクトが、もうすぐローンチになる。肩肘張らずに、できることからちょびっとずつ・・・世の中にいいことを、と言うくらいの意味なのだけれど、これも、やらせていただいて実に楽しい仕事になった。(6月には全貌をご紹介できる)

さらに同社とは、もう一つ二つ、新しいマーケティングのトライアルも議題に上りつつあるが、総じて全ての基底にあるのは・・エシカル【Ethical】な着想だ。

僕が「エシカル」と言うカタカナに触れたのは最近のこと出、先日もちょっと書いたが、知ってみるとこの言葉なかなかいい懐を持った言葉のように思える。

道義的な、とか、倫理上のと言う原義だが、UKあたりで近年言いまわされているニュアンスでは、もう少し新しく「人として正しく・・・」くらいのニュアンスだろう。

企業の姿勢を、エコ?から切ると・・・”エコファーストな考え方”と言ったような言い方をする。

エコに限らず、社会に善な取り組みを・・・と言ったときに、実は余り適切な言葉が浮かんでこない・・・CSR?

社会に良かれと言う姿勢をとることを言おうとすると・・・いきなり”CSRへの取り組み”と言うくらいしかなかった。

これではどうにも、ニュアンスが伝わらない。

その点”エシカル”は、形容詞だから実にいい(便利だ)。

エシカル・マーケティング

エシカル・コンシューマー

エシカル・カンパニー・・・と、つなげて行ける。広がりが生まれる。

企業の取り組み姿勢と言うよりも、生活者の選択の価値基準に繋がるニュアンスがある。

さらに言えば、企業も、人も、ともに社会に生きる「市民同士」であるところに思いがつながりそうなのが実にいい。

~はじめに言葉ありき~ 人間の行動は、ある意味、言葉に導かれることが多い。

エシカル(Ethical)と言う形容詞が包括する世界は広いし、それは、漠然とした、これからの方向を、ある意味上手に示してくれる。

エシカル・シンキング・・・。この時代の企業活動や、生活者のあるべき発想の起点としてふさわしい。(僕の崇敬する原丈人さんの「公益資本主義」は、まさにこのエシカルな発想だろう)

王子製紙の創業者、福沢諭吉翁は「道徳と算盤」と言っていた。全く同義の思想だろう。

カッパがいるか?みそ汁がつかないか?

沼と池の違いは・・・・カッパがいるかいないかだ、と教えてくれたのはDocomo。

ううう~~む、なぜか妙に納得が行く説明だった。

実際このCMの世界感には共感もしていた・・・のは僕だけか?・・・もっとも、それが何故Docomoの家族割り?の宣伝なのかを、論理的に理解するのはソートーに難しいのだけれど、言って見れば、まあそこが(共感と話題性という)CMの世界の不思議なところか。

今度は、490円ではみそ汁がつかない同士の、弁当とSoft Bankの家族割りに付いて考えることになった。

これもソートーに高度な哲学的、思索的アプローチで、妙に納得が行かないところが狙いな訳だ。 

こりゃ~これからのケイタイの世界は、よほどIQが高くないと着いていけないのかも知れない。

もともとあの家族構成を理解するのが2回転半くらいに難しかったのだけれど、そこは、圧倒的な露出頻度で、日本人なら知らない人はいない有名家族になってしまっているのだから、もう今さら何をかいわんやだ。

先日、天才バカボンのCMで感じたこととは、また全く違う角度から、今日も(テレビの)CMに付いて考えてしまった。

理屈で失礼すると、これがいわゆる「情報過負荷時代」のTVによる広告の一つの選択(≒結論)な訳だ。

アピールポイントが増えすぎて、かつ、競合差別性が薄れて、もう、正攻法での説明のしようが無いから、「奇手」×「リーチ」を持って注目と記憶化を狙う。 好意は・・・人それぞれ(&ターゲットのセンス)だ。

このクリエイティブに、代理店がしのぎを削る。 優秀なクリエイターが心血を注ぎあう。 莫大な広告費が費やされ、それは消費者が払う。

時勢に合わせて漂い流れ、CMは一定の(相対的)成果を、上げたり上げなかったりして、また次の工夫を生む。

時代に迎合しているそのCMが、とは言え一面では、大量の情報量で”文化”を創る側でもある・・・・。

結論は無いのだが・・・ちょっと考え込んでもしまう。

今、Suntory南アルプスの天然水のCMが流れた。大滝秀治さんの声が僕の腹に届いた。

男性諸君!立ってする?座ってする?

おうちのトイレ≒ほとんどが洋式。

その洋式のトイレで・・・男性が、小さい方の用を足す時・・・・さて、立ってするか?座ってするか?

その比率はどうなんだろう? 地域差は? 年齢差は?

男性の威厳の問題だ。いや、汚さないし合理的だ。と、賛否両論、論点もさまざまだけれど、果たしてみな三度うなされているのだろう???

と言う、実に興味深い”密室のなぞ”に迫ったアンケートとを、我等がネピアのマーケティング部が、メルマガ会員10万人に問いかけた。

その結果がこちら→男と女のトイレ事情

意外? 

それとも納得?

ちなみに僕は・・・ほぼ95%座ってしてます。この5年~10年位になるかな?

片山晋吾!10アンダーは偉かった!!

どうも・・・あの帽子、あの物言い・・・あんまり好きになれないタイプだったのだけれど、今回の片山晋吾は、偉かった。

自分で勝手に?日の丸背負って・・・でも、4日感崩れることなく、最終日後半猛ダッシュの10アンダーは、ちょ~~~と痺れました。ニッポンに男子ありって感じ?

惜しいよな~あと2打だ。ウッズの上だよ!!

あそこがああじゃなくて、あれが入っていて、あのホールがああだったら・・・優勝だったじゃん!!

と、ゴルフにも人生にも、タラレバは無いわけだけど・・・でも、どうしてもそんな風に思っちゃうくらいの肉薄振りは見事でした。

遼くんとかにばかり話題が行って、悔しかったのかも。それもいいことです。

 

それにしても・・・18番からプレイオフの流れは、これぞゴルフって言うドラマでした。

嬉しいだろうな。悔しいだろうな。すごいよな・・・・と。

スポーツの頂点は、小説も及ばないドラマの世界です。

 

ありがとう!!っていいたい。素直に。 満喫しました。

石川遼くん、ガンバレ。

17歳のマスターズ初日、いいいいいい顔をしてる。本当にいい顔をしている。

やっぱりダメかと思ってしまう4オーバーから、しっかり踏みとどまって、上がりに向かって3つのバーディー。

1オーバーの51位は・・・・えらい!!!

なんてったって18番は最高だった。ウッズがボギーで遼くんがバーディーだぞ!

 

さあ~2日目の今日が正念場。

1打縮めれば残れるだろうか、2打必要だろうか?

 

遼くんの笑顔が見たい。

でも、微妙だな~このまま頑張っているとちょうど眠くなる時間だ・・・TVのオンエアーは午前5時。

吉田拓郎/人間なんて/1979/つま恋

何となく・・・聴きたくなって・・・また聴いてしまいました。

何となく・・・・・・30年、すとんと、逆戻りした気分になりました。

 

吉田拓郎/人間なんて/1979@つま恋

 

夜中のyoutubeに感謝

昭和は歴史か。

このところ読んだ小説二巻が全くたまたまなのだけれど、どちらも幕末から維新のころの動乱の最中を生きた人が、明治を過ぎ、大正を経て、昭和まで生き残って人生を反芻している、と言った描かれ方をしたものだった。

先に読んだのが、壬生義士伝/浅田次郎。つい今しがた読み終えたのが、その男/池波正太郎。

どちらも、主人公は幕末維新の時期に剣に命を掛けて生き、或いは死に、本人やその仲間や、縁者、子孫が、その後の新しい時代に生きていて・・・と言う設定の中で、日本と言う国の今日や、人間の何たるかを語っている本だった。どちらも・・・良かった。

で、ちょっとおかしな読後感なのだけれど・・・・

先の「壬生義士伝」では、新撰組の隊士で勤皇浪士を切り倒して勇名を馳せた人たちが、大正バブルの時代にまで生きて市民として暮らしていることを。また、後の「その男」では、同じように幕末、公儀の隠密働きから鳥羽伏見の戦などを経て、明治十年の西南戦争を体験した剣士が、明治大正は愚か、昭和にまで生きて大往生をしていることを書いている。

読み手の感覚としては、ちゃんばら映画や歴史小説の世界である「幕末維新」の立役者が、先の小説では「大正と言う現代」まで、後の小説では「昭和と言う現代」まで生きて、普通に孫たちに囲まれている幸せ?の違和感を見事に描き出して、「歴史」と「現代」のつながりに付いて何かを語りかけてくれている。

さてその「現代」なのだけれど、昭和25年生まれの僕にとっては、戦後の「昭和」がまさに「現代」で、「平成」は単にその続きの時代で全く繋がっている。戦前の昭和と「大正・明治」は遠い過去で、「幕末・維新」はむしろ元禄からつながった歴史の世界だ。

そこを考え直してみろ!と、言われた気のする小説だった。「現代」は「歴史」と繋がっているのだと。そしてもう一つ感じた。「現代」と言う感覚の起点、基準は、その人の世代によって全く違うんだな~と。

小説の主人公は、歴史の舞台で華々しく活躍し、白刃を振るって命のやり取りをした後、平和な現代に生きていた。

僕の父は大正5年の生まれだ。当然ながら先の大戦に徴兵され、命のやり取りの場に身を置き、その後のシベリア抑留を経験して、命を保っての帰国後、母との間に僕を生んでくれた。

新撰組の看板隊士ほど格好良くもなく、武士の一分を貫いてもいないけれど、命のやり取りの空気は・・・当然ながら知っていた訳だ。が・・・、僕には素晴らしく優しい父であり、孫にはこの上なくいいおじいちゃんだった。・・・・当たり前である。かの人も、僕にとっては「歴史」である過去と、「現代」を繋いで生きた普通の人だ。

そして「昭和」が過去であり、歴史である人がどんどん増える。

亡くなった小渕もと総理が官房長官だったなあ。「平成」と言う年号を書きしたためた半紙を持って現れ、お正月の4日だったろうか?記者会見していた。その夜僕は仲間とカラオケに興じていて・・・平成21年の今を生きていて、もうじき人並みに孫も生まれそうだ。

おや、その平成生まれの石川遼くんが、初のマスターを、初日1オーバーの51位と言うニュースだ。

千鳥ヶ淵の桜吹雪。

桜09.jpg

何となく出かけそびれていて、ようやく今日、千鳥ヶ淵の夜桜を見た。なんと!今日がライトアップの最終日だった。危ない危ない。

暖かい宵だった。

既に満開を過ぎて・・・十二分咲き? 期せずして散り行く桜の美しさに触れた。お堀には散り零れた花びらが漂っていてそれも、なんとも言えず美しかった。

風に吹かれて桜が、まさに”桜吹雪”になって振りこぼれると、その瞬間、観桜の客の波からどよめきのような歓声が一斉に湧き上がった。

圧巻だった。僕も思わず拍手をしてしまった。

日本全国に桜の名所は多いし、物好きな僕は結構それらを訪ね歩いたりもしたけれど・・・ここ、東京のお膝元、千鳥ヶ淵の桜は押しも押されもしない横綱級だと思う。

取分け、美しくライトアップされた夜桜が好きだった。

悲しいかなここは、飲み食い厳禁どころか、立ち止まっただけでも怒られるという風情のなさなのだけれども、それでも出かけたくなるほどの、圧倒的な美しさだった。

だった・・・と、過去形で書いているには訳がある。

今日ははやばやと、日の落ちる前に着いて歩き始めた・・・。何となくいまいち迫力が無い。いつもの感動が襲ってこない。

薄暮の時間で、まだライトアップの効果が出ないんだな・・・と、時を待った。

あれ?未だこないぞ!あの感動が!! あれれ・・・対岸の、皇居側の桜はもっと明るくきれいだったのでは? アレレレレレレ??なんか変だぞ、今年は変だぞ???

一番の見せ場のボート乗り場のところに来ても・・・ううううむ今一???だ。

千代田区役所のテントで聞いてみた。「あの~今年はライティング変えました?」

「ハイ! LEDにしました。熱を持たないので桜にやさしいんです・・・ちょっと暗いんですが・・・・」との答え。

なるほどね・・・ここにもエコの波か・・・。 でもちょっと微妙~~。 まるで違うんだものな~~~。

桜って、潔く一気に咲いてさっと散って、見られることを喜びに思うマゾっぽい花だろう! 多少熱くても、去年までのライトアップの方が、桜も嬉しかったんじゃないのかな~~。 と言うのは変な理屈だろうか?

来年からは、昼間の観桜にしようかな。

テポドン騒動に思うこと。

北朝鮮のテポドン発射の予兆、予告からのこの一週間余。

つくづく寂しい日本の振る舞い。

やれ、けしからんの、許せんの、打ち落とすの、落せないの・・・、挙句の果ては誤報騒動・・・責任問題。

 

ただただ目先の事象に振り回された、定見の無い発言ばかりが、ずるずると繰り返されるみっともなさ。

何故今、北朝鮮がテポドンなのかと言う洞察も無ければ、

こんなときこそ! 世界の平和を切望する。といった、大所高所の発言もない。

 

北朝鮮に、この十年以内に政治的な変化があったとき、日本とアジアはどうなっていくのかを、ちゃんと考えている国民はどれほどいるだろう?

かく言う僕自身、それを考えるための情報が余りにも少ない。

大方の日本人がこうなのだろう。世界と日本の関係に余りにもうとい。

ダルマの七転八起・・・SUNTORY OLD、中吊りワイド広告の爽快!

朝日新聞本社前の築地市場駅から大江戸線に乗って、大門から都営浅草線に乗り継いだ。

週刊誌、経済誌の広告の見出しが、どれもこれも”底なし大恐慌の喧伝合戦”に終始する中で、見つけた!爽快広告・・・SUNTORY OLD、人呼んでダルマ

神武景気から始まって・・・86年のバブル景気→92年のバブル崩壊→02年のIT景気→その崩壊→08年いざなみ景気→そして今回の世界恐慌・・・と、好況→不況の変遷を、中吊りワイド広告の横軸にとって、そこに立っているダルマと転んでいるダルマをずらりと並べている。そして最後は、上向き矢印で ”2009年 やるっきゃない!”と。

何だかすごく嬉しくなった!

このことを書きたくなって、またまたWebで広告の写真を探したのだけれど・・・まだUPしていない。

下手くそなケイタイ写真でもいいから撮って来ればよかったと・・・深く反省。(今度見つけたら撮ってきて貼り付けます)

”反省”と言えば、先日書いた某流通大手の広告だけれど、今日も仕事仲間と話した。あの広告は・・・やはりちょっとおかしいという意見が多い。

広告がおかしいだけじゃなくて、流通のリーダー・カンパニーが、いずれも単なる安売り合戦で・・・それでいいのかと言う疑問がふつふつと湧く。

安売り路線を選択する。と、これだけ大声で言うのなら、理不尽なメーカーへの値引き要請以外の構造的な改革で、安値を実現する政策を歌って欲しい。

デフレスパイラルは、人の心理と行動の連鎖が起こす人災だ。

 これ以上書くと、くどくなりそうだ・・・。

プロフィール

VM Lab 辻井 良一

1983年セールスプロモーションの企画制作会社「株式会社アイベックス」を設立。プロモーション・プランナーとして、「売れる仕組みづくり」をキーワードに、さ まざまな企業の販促キャンペーン、市場導入プラン等に携わる。日本初のネットキャンペーン、キリンビバレッジ社「ネットでFIREキャンペーン」などを手がける。
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25年間プロモーションの最前線で、「売れる仕組みづくり」に携ってきた私、辻井良一(DG&Ibex創業者)が主宰する、「これからのマーケティング」を考えるラボです。
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