遺族は死刑を望む・・・。
秋田の彩香ちゃん豪憲くん殺人事件に、控訴審判決が言い渡された。再びの無期懲役だった。
曰く、責任能力は有り。殺意はあったが計画性は無い。殺害犯行の内容は極端に残忍とはいえない。・・・・よって無期懲役。
責任能力・・・今回はいいが、実はこれががクセものだ。なにせここでもし「責任能力ナシ」と認められると無罪?・・・これが判らない。およそ、人を殺してしまうような時は、どんな人間だって心身の健全は欠いているはずだ。
計画性と残忍性・・・死刑と無期の境い目はここか?・・・こいつもいまいち判らない。
うううううむ、僕にはむずかし過ぎる問題だ。裁判員が回ってきたら、本当にどうしよう。
いつもここ手の報道は漫然と見てしまっているから、個別の内容には詳しく触れられないのだけれど、近頃この種の殺人事件判決が相次いでいるように思う。
その度にTVのNewsなどで必ず取り上げられるのは、被害者の遺族の声だ。・・・・なぜ、死刑ではないのか!と。(これも、マスコミのはしゃぎすぎのようで好きでない)
愛する家族や子どもの命を、突然に、訳も無く、全く理不尽に奪われてしまった家族に残される、深い心の傷。やり場のない怒り。・・・・犯人への恨み。・・・・それが、死刑を望む気持ちになる。
「死刑」・・・先進国には、死刑の無い国も多い。
法の裁きは、恨みを晴らす手立てではないはずで・・・死刑を勝ち取れたからといって、遺族の心は晴れるのだろうか?
とは言え、当の遺族の気持ちは素直に分かる。当事者になってみれば、罪を憎んで人を憎まずなどとは言っておられないだろう。
愛する家族の命を奪った犯人が、”国に守られて行き続け、更生の機会まで与えられる、こんな国でいいのか”とは、剛健君の家族のコメントだ。重たい言葉だ。
僕は、個人的には、死刑は無いほうがよいと思う。その代り、本当に一生釈放されない、本物の終身刑があるべきだと思う。(こればかりは、収容の施設が大変などと言っている場合ではない。国家の責任だろう)
無期懲役が、実際には15年ほどで釈放になるから、全く釈然としないのだ。
人の死を願う気持ち、願っても叶えられない憤り、その狭間での精神の苦痛は、遺族にも地獄だろう。
法律に、死刑が無ければその地獄は無くなる。


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