「重役」と言う言葉が死語になった。
何故だろう、突然そんなことに思い当たった。そういえば、僕の若い頃は「重役」と言う言葉があったな。あれって、もともとはさむらい社会の家老職とかを指す「ご重役」の流れ?
森重久弥の社長漫遊記や、植木等のスーダラ節の頃は「取締役会議」と言うよりは「重役会議」と言うのが一般的だったなあ。何だか、いかにも美味そうな弁当が出てきそうな会議の感じがするな~。
それがやがて「役員会」になったかな? それでも未だ、何となく「会議」と言うよりは「会」の印象の方が強くて、まだ、弁当が美味そうな気がする。
つまり、当時の感覚では「重役」とか「役員」と言うのは、ある種のクラスイメージで、サラリーマンのゴールだったんだな~。それが日本の(いや、世界共通かな)会社のイメージだった。
それがいつか、「取締役会」になって、がらりと印象が変わる。厳しく、シビアな、経営判断の場と言う印象だ。アングロサクソン風の企業経営のイメージと言うか、「資本」と「経営」の関係が重視されだした流れの中にあったように感じる。
当時僕も、経営の真似事をしていた。当然、重役会議なんて感じじゃなくて、取締役会だった。(いや、取締役会ゴッコだったかもしれないけれど)おいしい弁当に舌鼓を打った記憶は、とんと無い。
何故こんなことを考えたかと言うと、先日の「会社は誰の為のもの?」と言う話の延長だ。
世襲制の家老職の「ご重役」と言うのは、藩士や領民への責任感が問われる職だったはずだ。当然、オーナーである殿様への忠誠の上でなのだけれど、時には、その殿様を諌めるために陰腹を切ってでも諫言するのが家老の役目だった。そのイメージが、株式会社に移行して、極自然に「重役」と言う言い方が根付いたのだろう。だって、商法にはそんな言葉出てこないものね。
それと比べると、「取締役」って言うのは、何となく、お雇い外人と言うか、奉行職程度と言うか・・・職階よりも、職位。 その場、その時の「職責」と言う感じがして、コロコロと移ろう印象が否めない。重役の椅子に安寧するのじゃなく、取締役の職責を果たして、次につなぐのが何よりなんだろうけれど、何となく継続性が感じられなく、刹那的な印象だ。
(さて、やっぱり夜中のブログは支離滅裂なんだけれど)今の自民党政権。都度都度の組閣ごとに「大臣」≒「取締役」は出てくるけれど、腰の座った「重役」が居ないよね。
そこへ行くと、民主党の方が「重役」の顔ぶれが決まっていて、継続した意志が感じられるか・・・これ、大きな皮肉のつもりでもあるんだけれど・・・。
どうも、このところの状況を客観的に判断すると、一回は民主党政権になってみないと収まらないのかもしれない。仮に今年そうなったとして、そのまま行くとは、ど~~~しても思えないのだけれど、かといって、このまま(自公体制のまま)行くとも思えないところまで来てしまった。
麻生ちゃんがひどい。そんな麻生に繋いだ福田選手が悪い。投げ出した阿部君が情け無い。阿部君に託してしまった純ちゃんがもっと悪い??
じゃー小沢さん!? しかしこの人も、前科物だ。
ああ、またまた、出口の無いテーマに迷い込んでしまった。・・・それでも、いやでも、今年中に選挙は”来る”。来てしまう。
トラックバック(0)
このブログ記事を参照しているブログ一覧: 「重役」と言う言葉が死語になった。
このブログ記事に対するトラックバックURL: http://www.vmlab.jp/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/298


最近のコメント