五郎冶殿御始末。
「五郎冶殿御始末」は中公新書刊、浅田次郎の短編集。年の瀬の徒然に、あまり重たいのを読む気分でも無く、眠り薬代わりにと読んだのだが、六編の短編はいずれも味のあるものだった。特に巻末の二編「石榴坂の仇討ち」と表題作「五郎冶殿御始末」の二編は良かった。
幕末の動乱期に、武士として必死に生きた人たちに、忽然と訪れた明治の時代。廃藩置県、廃刀令と、武士の魂の拠りどころが一気に崩れ去ってゆく中で、男として、人間としての「始末」をどうつけるかというと言うテーマで綴られている。
「石榴坂の仇討ち」は、桜田門外の変の時に、井伊直弼の警護に付いていて、あっさり主君の首を奪われてしまった侍 志村金吾の、その後の話。務めを果たせなかった息子を恥じて親までが自害してしまう。仇討ちを命じた藩すらなくなってしまう。流浪十余年。首尾よく仇と巡りあえて彼は人生の始末をつけることができる。
その仇は脱藩会津藩士佐橋何某。車引きに身を落としていた。桜田門で本懐を遂げた後、その場で自刃した者、自訴して見事切腹した者は、その後国士として称えられるが、事の始末を間違い、死に場所を失って逃走し、そのまま生き残ってしまった者には、やはり辛い余生が残っていた。
仇が引く車に乗って新橋駅から高輪石榴坂への道々、二人のやり取りがなかなか深い。
桑名藩士岩井五郎冶の話は、この短編集の巻末に置かれるに相応しく、男の「始末」と言うテーマをもっとも判りやすく書いてある。作中の一節、「人は、自分の苦労は語ってはならない」は、実に含蓄の深い言葉だ。
日本近代史の学者、磯田道史と言う人を僕は知らなかったが、その人の手になる「解説」が要を得ている。日本の近代史観の中で、幕末・明治が遠くに追いやられすぎていることが、文化の一貫性を欠く原因になっているとする氏の論は、僕も全くもって同感の部分だ。
そして、解説は言う。「浅田氏がこの短編を書き綴っていた当時は、日本経済は、バブル崩壊の後始末のさなか、山一・拓銀の倒産、失業と自殺と、どん底にあえいでいた暗い時代だった」「ひとつの時代が終わる時、必ず後始末と言うものが必要になってくる」と。氏は無論、今日のことを知らない。
六編の短編の六人の主人公達は、決して格好良く完璧に後始末を付けた訳ではない。揺らぎながら、悩みながら、何とか自ら納得の行く後始末にたどり着く。
「始末」とは、次へのスタートのために、必要不可欠なものなのだ。
年末に読んだ一冊に、ちょっとだけ勇気をもらえた感がある。
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