東ティモールの平和と不安定。
今年の4月に始めて東ティモールを訪れた。
それに先駆けて、支援対象国とさせていただくことになった東ティモールの、駐日大使館を訪問させていただくことになり、日時の調整などを始めた頃だった。
東ティモール大統領、ゲリラの襲撃を受けて重態。国内には戒厳令級の害種禁止令が布告される。と言うニュースが飛び込んできた
そのときのことを思い出したので、別文から抜粋してみた。
ちょっと言うか・・・かなり長めなので、おひまな方だけどうぞのコースだ。
対象国とさせていただく手続きが整って、僕らは、駐日東ティモール大使館の門を叩くことになり、その日程が決まった。
その直後だ。東ティモール共和国大統領が、ゲリラの襲撃にあって重態と言うニュースが飛び込んできた。東ティモールは全土に戒厳令級の外出禁止令が引かれた。
新聞の報道はもどかしかった。大統領はオーストラリアに緊急輸送されて手当てを受け、何とか一命を取り留めそうとのことだったが、その後の国内の様子が一向にわからない。今後混乱が増すのか、収まるのかがわからない。一説では山中に立てこもるゲリラの首領がこの時に死亡したので、ゲリラ勢力はこれで終焉に向かうだろうという。また一説では、国内有力者の中にもゲリラに一脈を通じる派がある模様で、この問題は根深く予断を許さないという。
せっかくの支援事業が、国の混乱で進まなくなったらどうしよう。また、戦乱の中で支援を進めて、スタッフ等に万が一のことがあったら、それはどんなことにつながってしまうのだろう。我々は、何時どのタイミングで、何を頼りにプロジェクトの判断を下せばよいのか。初体験のプロジェクトにマニュアルはなかった。
以後2~3週間、不安な時期が続いたが、日本ユニセフ協会さんを通じて聞こえてきた現地の状況は、「既に平静に戻っていて、混乱の兆し一切なし」。とのことだった。新聞は、いつか一切報道をしなくなっていた。この時間の流れの中で、プロジェクトは進んでいった。
大使館訪問の日が来る。千代田区5番町に大使館はあるという。実は訪問の当日、現地に10分前集合でそれぞれに向かった僕らは、みな時間に遅刻しそうになった。住所を頼りに探せど探せど、なかなか大使館らしきものが見つからないのだ。やっと見つけた大使館は、奥まった路地の小振りの個人宅のようなつくりだったが、屋内は小奇麗に整っていた。二等書記官と大使閣下、日本人の運転手さんと事務の女性。以上4人、専属の通訳はいない。
ご一緒願った通訳の太田女史に聞く。
「ミスター・アンバサダーでいいのかな?」
「いいえ、大使をお呼びする時は、ヒズ・エクセレンシー・サー・アルベルト・サントス・ドミンゲス・アンバサダーとお呼び申し上げます」
「はは?ヒズエクセル・サー?」
小さな応接室で大使を待つ。二階にお住まいのようだ。降りていらした。にこやかに握手・・・・。違った、こちらは二等書記官殿だった。やがて本物の大使閣下が降りていらした。まだ40代?二等書記官にも勝る笑顔と、気さくな物腰だったが、思慮深い何かをたたずませていらした。でも、これならミスター・アンバサダーでも許してもらえそうだと感じた。
まず、ご同行いただいた日本ユニセフ協会の浦上女子が流暢な英語で、2000年から続く東ティモールでのユニセフの活動と、水と衛生に関するユニセフの計画などをご説明し、今回は、ネピアさんがユニセフを通じて、貴国にトイレと水の支援を申し出てくれたと説明する。
緊張の中、次は今さんが、今回のプロジェクトの説明を申し上げる。
「私たちネピアは、ユニセフさんとのタイアップでプロジェクトを起こし、期間中のネピア商品お買い上げの中から寄付を積み上げ、それを、ユニセフ東ティモール事務所に寄付させていただきます。貴国民に対する、トイレと衛生の教育や啓発も行い、貴国の子どもとその家族が健康で衛生的な生活が送れるよう、お力になりたいと思います」
太田女史が丁寧に訳して伝えてくれる。
一瞬の沈黙の後、ドミンゲス大使は語り始めた。
「今回のお申し出は実に嬉しい。ご存知のようにわが国は、甚だしいインフラの欠如とキャパシティー不足の中、未来に向かって羽ばたこうとしているが全てを自力でまかなうことは不可能な状態で、多くの組織や国々から支援をいただいている。今回のネピアさんとユニセフさんによるトイレと水の支援は、この国の未来を担う子ども達へのもので、実に意義深く有効だ。心から感謝する。」
要約すると以上のようになることを、ドミンゲス大使はおよそ30分かけて熱く語ってくださった。そしてお話はさらに続いた。僕らは、ある感動を覚えた。
「People to People」
「自分は長く(独立の)運動家でしたが、一国の政府などと言うものは、やがて無くなったり交代したりもするものです。しかし、国民は残ります。今回のプロジェクトをきっかけに、日本の国民と東ティモールの国民の間に、理解と交流が起こり、それが長く続き育って行ってくれれば、そのことが何よりの願いです。3年前に私が大使として赴任した時には、何処で誰とお会いしても、東ティモールと言う国が何処にあって、どんな国なのかの説明だけで大変でした。最近は少し良くなりましたがまだまだです。今回のネピアさんのキャンペーンが浸透すれば、日本中の方々が東ティモールを知ってくれますね。それが何より嬉しいです」
「はい閣下。ネピア商品だけでも数千万パックに貴国の紹介が載ります。HPにも、新聞にも雑誌にも・・・」
思わず僕は、キャンペーンパッケージを広げて話し出していた。この国の、この若い大使と国民の力になれることが、一介のマーケティング屋として心から嬉しかった。初めての感動だった。
暖かいティモールコーヒーが出てきた。深煎りの香ばしいコーヒーだ。ほぼ自生に近い形で東ティモールで栽培されたコーヒーだという。素朴なカップで供される自国のコーヒーは実に美味しいと感じた。
「今月末に東ティモールに行かれるのですね。気をつけてください。戒厳令は向こう両三年延長することにしました。でも大丈夫ですよ。でも気をつけてください。美しい東ティモールをよく見てきてください」
大きな満足感と、一抹の不安を胸に僕らは大使館を後にした。聞けばドミンゲス大使は独立の有力な活動家だった由。今も、全権大使として日本に赴任中で、大統領や首相の顧問役も勤め、国の首脳陣に万が一のことがあった時には、それを代行する立場にもあるという。
このアジアの小国東ティモールが、先進に大使館を営むコストの大きさは我々からは計り知れな区、事実在外大使館の数も極僅かだ。駐日大使館に専属通訳がいないのもそうした台所事情だ。その貴重な国費を使っての大使の日本外交は、この国の主要な課題意識の反映なのだ。
力になりたい。日本人として、便所紙屋として、マーケッターとして。こんな風に思える仕事は25年間で初めてだった。
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