桜の季節に思うこと。
今年もまた見事に桜が咲いた。
この花は本当にすごいと思う。普段はあまり目立たない存在でじっとして居ながら、この季節、一気に咲き誇って、「おれは桜だ~!ここに居るぞ!!」とばかりに、狂ったように自己主張する。いやはやお見事、確かにあなた様は桜でいらっしゃられましたねと、思わず頭を下げたくなる。惜しまれる内にサッと散る。そしてまたその存在すら忘れるのだが、やがて春は巡って来る。一気に咲く。
僕が桜の美しさに動転するような驚きを覚えたのは遅く、18歳の時だ。高校時代までを札幌で過ごしてきた僕は、親に連れられて花見にも出かけたし、さまざまな文学などの中でも、桜を愛でるシーンには出食わしていたが、正直あまりピンと来ていなかった。
それには訳がある。札幌の桜はGWのころに咲くのだが、ソメイヨシノのような八重の種ではなく花も小ぶりだ。さらに決定的に違うのは、若葉と同時に花をつけることだ。だから確かに花は奇麗だが、若葉の緑と重なって東京の桜ほどの鮮やかさに欠ける。
そんな僕が学生になって東京住まいの初めての春、何かの用で中野界隈辺り?の桜並木に迷い込んだ。
春の日差しを浴びて咲き狂うさまにまさに圧倒された。・・・・・これだったのか!これが桜だったのかと!!
日本人がこれだけ愛し騒ぐ理由が、心底理解できた。 あの時の感動は今でも忘れない。
事後、すっかり桜好きになってしまった僕は、名所銘木を訪ねてあちこちに出かけたりもしたが、やはりあの時の感動は別格だった。春の青空を覆い隠すように咲き乱れるサクラさくら桜さくらさくらさくら・・・。総天然色!と言うのが相応しい、僕の40年前の一瞬の鮮やか過ぎる記憶のひとこまだ。
桜は日本人の心の花だ。その散り際の良さがよく武士道の例えにされる。それもその通りだがその前段が大事だと思う。冒頭で書いたように、普段はじっと目立たない存在の昼行燈?の様でいて、一朝事有った時に、ここぞと力を出すその姿に惹かれる。引き際の良さも無論素晴らしい。
願わくば花のもとにて春死なん その如月の望月のころ・・・は、西行法師の晩年の句だったろうか、けだし同感。
昼からホロ酔いで書いていると、さらに詩を二つ思い出した。一つはご存じのあれ「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」と言う、初唐の詩人劉延芝の詩だ。
もう一つ、これはご存知の方は少ないと思う、以前鎌倉市長を務め歌も詠み、絵も描かれた小島寅夫さんの歌だ。うろ覚えで多分少し違っているかも知れないが・・・
「何もかも 遠い昔になりまして 桜の蕾が ほころびましたよ」といった感じの歌だ。 ・・・この歌に触れたのは、十年ほども前のことだ。小島氏がこの歌を詠まれた時の心境は聞いていないが・・・何だか、年をとるっていうのは素敵な事なんだなあ~と、感じた事を覚えている。 もちろん未だまだその域には達していない生臭オヤジのままなのだけど。
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