教育と歴史感覚について思うこと。
物心ついて「歴史」を学んだのは、中学生になってからだったような記憶しかない。
僕が子供心に「時代」や「歴史」を感じたのは、映画「鞍馬天狗」や「旗本退屈男」だ。ちょんまげを結い、時に覆面頭巾を被り、腰に刀を差したヒーローが悪党どもをバタバタと切り捨てる「時代劇=江戸時代」の世界は、現実世界とは全く無縁の別世界として印象付けられた。
少し大人になって歴史年表は学んだが、それでも感覚的に「江戸時代」は、現代よりも飛鳥時代や平安時代に近い存在で、ほんの100年前のこととはどうしても感じられないままにテレビで「水戸黄門」を観ていた。
僕は1950年生まれだから、明治維新(1868年)からはわずか80年ほどしか経っていない時の生まれだ。その僕が今はもう57歳になる。50年前は完全に現在に繋がっていると言うのに、この経年感覚と、江戸と現代の隔絶感はやはりものすごくおかしい。
日本の教育は、二度、江戸を「過去」としたのだと思う。
最初は、維新政府の改革志向が、江戸の旧文化の全てを否定して「文明開化」を説いたのだろう。そして第二波は、戦後の民主教育だ。そうして、日本人は、わずか数十年前の「江戸の文化」を隔絶した過去として教え込まれた。
「人」は、本能的に現在に生きるから、過去を忘れる能力に長けている。そこに教育や統制が加われば、過去との決別は極めて容易なのだろう。
だからこそ歴史教育は民族にとって大切だ。実際、民族のアイデンテティーを考える時に、その民族の歴史を除いては何も語れない。日本人は、縄文弥生以来の長い時間を経て「江戸文化」と言う形で、世界に固有の文化を完熟させていた。そこに列強の帝国主義の余波が押し寄せ、日本もそれに参戦して紆余曲折、1945年の終戦を迎える。
爾来60余年。
アジアの眠れる獅子中国が目を覚まし、インドが台頭し、ロシアが復活し、新興アメリカの支配が終わりを迎えかけ、ヨーロッパは欧州合衆国の構想を視野に入れ始めている。
日本はどこへ行く!?
歴史小説を読もう。時代小説を味わおう。日本はすばらしい!!世界中のどこを旅しても、こんなに民度の高い国はないとつくづく思う。ミシュランの星が多いのも当然だ。本当はあの何倍も星が着いておかしくない。だって、世界広しと言えど、王侯貴族以外の庶民が「女房を質に入れても初鰹」なんて言うほど食にこだわった国は無いぞ!庶民のはしっくれまでが読み書き算盤に長け、礼節をわきまえ、ウィットに富んだ会話を尊び、歴史上の偉人の功績を常識として学んでいたような国は無いぞ!!
そう考えると、やはりこれからの日本が手本とすべきはヨーロッパの路線だ。自国の文化に誇りを持ちつつ、世界に伍して共存する道筋を読み始めているのは、アメリカでもロシアでも中国でもなく、欧州だ。
日本の立ち位置は確かに難しい。アジアの盟主として、アジアを束ね・・・と言う声を聞くが、周辺の国々の文化と政治のの熟成度は低い。欧州合衆国のような絵は描きづらい。
やはり日本は・・・極東の異質な島国か。それならそれでいいのじゃないかとも思う。徹底的に島国の文化を再考・再興して、世界の中での存在感と役割を再認識すれば。
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