江戸の豪商はどこへ消えた?
徳川時代、江戸・蔵前の札差に代表される「豪商」達の儲けの構造は絶大だったと物の本で読んだ。
徳川幕府の御家人達は「米」で俸給を得るが、当時の江戸は既に貨幣経済の世界になっているから、彼らは米をお金に変えなければ暮らして行けない。その換金商が「札差」で、109株限定の免許制だったと言う。
免許制だから仕事は保証されている。換金業だから当然利ざやを抜く。しかも、ここが面白いのだけれど、御家人に俸禄米が支給される時期は(年三回)決まっているから、その時期は供給量が増えて米相場は必ず下がる。下がった時期の価格でさらに安く買い取った米を、彼ら札差はじっと蓄えて相場を読み、高騰時に売りさばいてさらに儲ける。これでは儲からないはずが無い。
当時の札差たちは、笑いが止まらないほどに儲かったという。でも、不思議と彼らの末裔は今日の財閥などに繋がっていないのだ。経済環境や法制の変化なども有ったのかも知れない。ただ、僕が仕入れた知識では面白おかしくこう説いていた。
札差のお大人たちも「江戸っ子」だったのだと。つまり「宵越しの銭は持たない」気風の人たちだったのだと。
「蔵前風」と言う長羽織や独特の曲げの結い方などで、「通人」として一世を風靡。その金遣いの荒っぽさは常軌を逸したものだったらしく、吉原での大散財はもちろん、歌舞伎や音曲などのパトロンとなるばかりか、自らも芸を磨いて舞台のお囃子まで買って出たと言うから、今に例えれば大会社の社長が冠公演でオペラを開催し、自分がバックで楽器を演奏しているようなものだろうか。(古来、洋の東西を問わず「文化」とは「バブル」が育むものらしい)
江戸の庶民達は、その旦那衆を嫌わずにむしろ讃えたと言うから、今日のIT長者達とは、ちょっと違った美学に基づいた散財だったのだろう(残念!お側で太鼓持ちをやりたかったものだ・・・)
明治の時代を超えて今日に繋がっている豪商系財閥の代表と言えば、日本橋の越後屋=三越(は伊勢松坂の出)だが、その他も、日本橋の上方系・名古屋系の商家は、蔵前の江戸っ子札差達とは全く対極的に「しまり屋」だったらしい。何だか分かるような気がする。
そして、札差達の栄華は途絶えた。莫大な財はどこへ行ったのだろう?
蔵前の札差に限らず、僕は、中世から江戸に掛けての豪商達の築いた「身代の行方」が前々から気になっていた。
未だ不勉強で分からないことばかりなのだが、おそらくは、一代二代で途絶えているのだと思う。それは、時の権力や政治の隙間で一瞬にして莫大な富をなす「才」は、個人の天分であって子には継げないから。また、環境の変化は頂点にある人にこそ厳しいから。そして何より、その本人達がそれを知っていたから・・・ 一代で成して、一代で使い切るような生き方を選んだのかもしれないと思う。
だとしたらある意味、カッコイイ!!と心底思う。(でも、もうちょっと勉強してみよう)
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